空でつながろう

Interview Vol.10 小野市から変えていく、
日本の伝統産業の「在り方」。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行なっています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第10弾の今回は、兵庫県小野市で活動をしている小林さんにお話を伺いました。

小野市から変えていく、日本の伝統産業の「在り方」。

写真左奥 小林さん

消えていく、“身近にあった”伝統産業。

Q.小野市で活動を始めたキッカケは何だったのでしょうか。

小林小野市は僕の地元で、実家は市内で表具屋(掛け軸・屏風・障子などを張り替える職人)を営んでいます。小さい頃は毎日忙しそうだったのに、中学生になった頃から、親父が暇そうにしていることが増えたんです。家業が衰退した(その)理由を考えた時、ハレの日にふすまや屏風を張り替えてお祝いや儀式をする生活文化が衰退していると気がつきました。「これでは日本文化がなくなる」と、中学生ながら危機感を持ちましたね。今考えればココが全ての始まりでした。

そして高校生の時、喜多俊之さんという大阪芸大のデザイン学科長が同じような危機感を持って昔から活動されていることを知り、喜多先生に教えを請うため、大阪芸大に入学しました。

喜多先生はプロダクトデザイナーとして、海外の有名家具ブランドなどのデザインを担当している方です。ご自身の仕事を通して海外に日本の文化を紹介し、日本の伝統工芸を海外家具市場と結びつけることで、文化の衰退を解決していらっしゃいました。そこで僕も、世界中のデザイナーの登竜門であるミラノサローネに出展したり瀬戸内国際芸術祭でアートを制作したりしながら、日本文化と自分の活動について考え続けました。

特に瀬戸内国際芸術祭では、地元の漁師の方とかなり仲良くなったんです。色々話すうちに、日本中で一次産業や伝統産業が消えたり、課題が解決されない地方都市の悲惨な状況を知るようになりました。海外では日本文化が海外の高級ブランドで評価されているのに、国内では日本文化が衰退している。そんな時に、地場産業である「そろばん」のプロダクトデザインを任されたのです。「世界で通用するなら、どこで仕事しても大丈夫だろう」と思い、地元に戻ることを決めました。

Q.小野市で活動することへの想いを聞かせてください。

小林地元で活動すると、見えてくることが沢山ありました。地場産業の課題は、様々な課題とつながっているんです。たとえば海外で日本の伝統工芸が売れるように、見せ方や販売先を変えれば解決することも多いです。でも職人の高齢化で、需要に応えられるキャパがない。技術の継承者もいない。国から補助金をもらう発想もない。

これはプロダクトデザインだけでは解決できないと痛感しました。ですから最初にビジョンを打ち出して、それをみんなで実現していくという“過程”からデザインする必要があると考えました。コミュニケーションデザインを通して産業構造を変えていくのが、僕のミッションだと感じました。

その一つとして、神戸や姫路まで含めた、小野市周辺エリアとしての横のつながりを作りたいと考えたんです。このエリアの地場産業に携わる人に向けて、商店街で交流会を開催してみたところ、会場に入れないくらいの人で溢れかえりました。そこで毎月、移動式の異業種交流会を開催することにしたんです。交流会をキッカケに新しいつながりが生まれて、イベントや事業が始まるといいなという狙いがありましたね。当時はそうやって地域の伝統工芸・地場産業・つながりをデザインすることで、日本のオリジナリティを発展させる道を模索していました。

Q.小野市の伝統産業で、特に新たな活動につながったものはありますか?

小林当時、金物組合の副理事長だった友人の父親が、水池長弥(みずいけ おさみ)さんという刃物の職人を紹介してくれました。水池さんが作っているのは、握り鋏。手芸の糸切りや細かい作業に使われる、指を入れる穴がないハサミです。それを“総火造り”という技法で作る超絶技術の持ち主で、実際、工場で握り鋏を手に取った瞬間、「なんて美しいんだろう!これはプロダクトデザインの完全体だ」と震えました。

握り鋏は色々な分野の職人が使っている、日本を代表するハサミ。でも総火造りで握り鋏を作れるのは、日本で水池さんだけです。それなのに、水池さんの後継者がいない。これはヤバイと魂に火が付き、なんとか残す方法を考え始めました。

小野市から変えていく、日本の伝統産業の「在り方」。

刃物制作時の様子

“究極のMADE IN JAPAN”を作る想い

Q.小林さんにとってのEVOLUTION × LOVE とは?

小林やはり刃物職人との出会いです。「この産業をココで終わらせてはいけない」という想いから、ブランディングと意識改革に取り組みました。まずは、弟子を育てること。しかしその余裕を作るためには、利益確保のため単価を上げる必要があります。そこで問屋組合に「播州刃物」という地域ブランドの立ち上げをデザイン提案しそれを実行しました。すると2ヶ月後には東京ビックサイトで、さらに3ヶ月後にはパリデザインウィークに出展するという、脅威のスピードで認知度が上がって…。次第に国内外からの見学者が増え、ついに2015年に1人、弟子が入ったんです。

とはいえ課題はそれで終わらず、肝心の水池さんは、弟子を一人育てるので手一杯。ほかの職人も高齢だったので、弟子をもっと増やすため、「僕の会社で育てよう」と腹をくくりました。具体的には、会社が責任を持ち、職人から伝統を教わる。そんなカタチで2018年に、当社の海外でのブランド名「MUJUN」を冠した「MUJUN Workshop」がスタート。今は一人でも多くの職人が育って、伝統が続いてほしいと思っています。

Q.「新しい可能性のある何か」を生み出すとしたらどんな事ですか。

小林「なぜ文化が大切なのか」という視点で、日本の昔の暮らしを見つめ直すことから始まると思います。海外から見て、日本は本当にオリジナリティ溢れる国。だからこそ、「これは本当にMADE IN JAPANなのか?」と聞かれるんです。その問いを突き詰めると、素材や燃料のルーツに行き着きました。本来、その土地で砂鉄が採れるから鉄を作り、山があるから製炭して刃物を作っていた。地域の特性や暮らしと物づくりが結びついていますよね。しかし今、その製品の原料の産地は?と問われて、「すべて地元のもの」と答えられるでしょうか。

この問題を考えていた時にパンデミックが始まり、資材の供給不足や価格高騰が起こりました。それもあって現在は、原料や資材も燃料も完全に自給自足で作る「真のMADE IN JAPAN」を生み出そうとしています。

小野市から変えていく、日本の伝統産業の「在り方」。

海外での小林さんによるワークショップ

Q.今の若者に感じる課題はありますか?

小林まずは行動してみればいいんじゃない?と思います。日本社会って成熟しすぎていて、失敗を許さない雰囲気が強いというか。それこそスマホでなんでも調べられるので、行動する前に知った気分になることが多いですよね。でも僕は様々な職人さんと関わってきて、「30年やって初めて分かること」「50年やっても分からないこと」があると気づかされました。経験して、体を動かして初めて見えるものを見るためにも、まずは怒られてもいいから行動したり、未知の環境に飛び込んでほしいと思います。

   ありがとうございました。小林さんが「人」や「コミュニケーション」からデザインをしている、新しい日本の伝統産業のカタチ。その進化を楽しみにしています!