
Interview Vol.116
伊豆半島を盛り上げる未来を見据え、
修善寺温泉のライトアップで観光客、住民も笑顔に。
長谷工グループのインキュベーション組織「UXDセンター」が行う共創プロジェクト「EVOLOVE(エボラブ)」は、2025年、日本各地の“街を明るくする”活動を開始します。
あなたにとって“明るい街”とはどんな街でしょうか?商店街に活気がある街、街灯が増え夜も安心な街、若い世代が移住してくる街、大学を卒業したら子どもたちがまた戻ってくる街、多くの観光客が遊びに来る街、季節ごとに花が咲き乱れる街。あなたの街をもっと“明るい街”に変えるために、みなさんはどんな活動をしているのでしょうか。
今回は、修善寺温泉街のライトアップで街をあかるくする活動を行う原啓之輔さんに話を伺いました。

原啓之輔さん
東日本大震災後、
暗くなった街を明るくするために
ライトアップを展開。
現在の活動について教えてください。
原伊豆市修善寺にあります「宙SORA渡月荘金龍」を経営するかたわら、伊豆市観光協会に所属する修善寺支部の支部長を務め、修善寺温泉の夜のライトアップ活動を行っています。
ライトアップは温泉街の主に竹林の小径周辺にて行っており、地元の切り絵作家とコラボし、小径の中央にある竹の円座にアートスポットを設け、皆さまがアートを楽しみながらゆっくりと過ごせるように工夫しています。

修善寺温泉 竹林の小径 ライトアップ
「街をあかるくする活動」について、取り組みのきっかけを教えてください。
原東日本大震災の時、修善寺温泉も計画停電が行われて温泉街全体が暗くなり、お客さまが全く来なくなった時期がありました。旅館も休館して街が真っ暗になってしまって。それじゃあちょっと淋しいよね、ということで各旅館に協力していただいて、時間を決めて、お客さまがいなくても明かりをつけてもらうようにしました。それが最初のきっかけです。
当時、私は修善寺旅館組合の青年部長を務めていて、誘客するためにイベントをやろうと企画しました。もともと修善寺は寺まちですので、震災でお亡くなりになられた方への供養も込めて、キャンドルで街を灯すイベントを行いました。そのイベントのおかげでお客さまにもまた来ていただけるようになって。それが発端となって、さらに街を明るくしていこうと今のような形でライトアップを行うようになりました。
しかし温泉地だからといって旅館だけではなく、地元住民が営むみやげ店や飲食店もあります。私たちが「お客さまに、もっと温泉街を歩いてもらいたいから夜も店を開けてほしい」とお願いしても、中には「夜はもう早く店を閉めたい」「昼間で売り上げが立つから夜はやらなくていい」という方もいらっしゃいます。だからこそ逆にライトアップでお客さまが出歩くようになれば、そういう店にもビジネスチャンスがあるから開けてくれるようになって街がもっと賑やかになる、そういう思いも込めて行っています。

陰絵をモチーフにしたライトアップ
「街をあかるくする活動」を行うようになって、街に変化はありましたか?
原やはり街が暗いと皆さん気持ちも落ち込んでしまいます。ライトアップで街を明るくしてからは、従業員もそうですが皆さんの震災に対する不安も少しずつなくなって、気持ちが明るくなって笑顔が戻ってきたという感じは見受けられました。
ライトアップ以外の「街をあかるくする活動」について教えて下さい。
原修善寺温泉は山に囲まれていて、春の桜や秋の紅葉はすばらしいです。しかし紅葉する木々も徐々に老木になって弱くなっており、お客さまが来られた時にがっかりしないよう、今から元気な桜や紅葉樹の植え替えをしていこうと計画しております。
私の理想としては、訪れるお客さまに、修善寺の自然や温泉をひとつの旅館とイメージしていただくこと。例えば道路が廊下で、各旅館が離れの各部屋というような。廊下が汚いとお客さまにとってイメージが悪いからゴミをポイ捨てしない、だからゴミ箱を置いて美化を維持する、そういう取り組みをしていこうと考えています。

紅葉シーズンの修善寺温泉
原さんにとっての地域活性を教えてください。
原まずはお客さまにたくさん来ていただけるような、魅力的な温泉地にしていかなくてはなりませんので、既存にある観光素材をよりブラッシュアップさせ安全でゴミひとつ落ちていないような温泉地をめざしていくことが大切だと思っています。それには行政の力も借りないといけません。地方活性化のための補助金を活用しながら町並みを整備していく。それがこの修善寺温泉の活性化にとって重要なことだと思っています。

修善寺温泉ライトアップと花火
20、30年後も魅力ある街にするために、
今自分たちができることを、
他のエリアとも協力して取り組みたい。
原さんにとっての“EVOLUTION✕LOVE”を教えてください。
原もともと私は親から旅館業を継いでほしいと言われていたわけではなく、最初はメディア関係の仕事に興味があり、広告代理店に務めました。そこで居酒屋のメニュー制作に携わることにより、写真はこういう風に美味しそうに撮るんだとか本当にさまざまな経験と勉強をさせていただきました。
しかし制作物なので、期日があります。特に居酒屋チェーン店などは、フェアが始まる日までに作らなければいけない。しかしそういう企画はギリギリに決まることが多く、スケジュールもすごくタイトで、一生懸命納期までに仕上げては、はい終わり、という感じでした。まさに流れ作業的な工程であり、自分たちが作ったメニューを実際にお客さまは見て喜んでくれているかどうか、というのは見られないわけです。だからやりがいが感じられなくて。自分が作ったものや行ったことに対して「ありがとう」と笑顔でいわれるほうが、同じ大変な仕事でもやりがいがあると思い別の仕事を探し始めました。その時に、実家の旅館を継いでみようかなと思いました。
もともと広告代理店に入った動機も、CMを作ってみたいという思いだったのですが、旅館を継いだらプロモーションもパンフレットもCMも自分で考えなくはなりません。そういう意味では今、夢を叶えているなと感じています。またそのことによってお客さまに喜んでもらって、満足してもらっている。自分の経験がこういう形でつながっていく、これが私のEVOLUTION×LOVEなのかなと感じています。

弘法大師(安海)により開湯された修善寺温泉 鈷の湯
10年、20年後はどうなっていたいですか?
原家業だけではなく、修善寺温泉全体を、この先20年、30年とお客さまに来ていただけるような温泉地にしなくてはならないと考えています。そのためには、我々の世代のうちに整備しなければいけない部分については、市に頼るだけでなく、我々自身で課題を克服していかなくてはならないと思っています。次の世代の人たちに負の遺産ではなく、お客さまに人気な温泉地としてのブランドをしっかり確立されてからバトンタッチをしてあげたいと思っています。その想いで、修善寺全体のことに対しても頑張って取り組んでいます。
また私は旅行会社の加盟施設の静岡支部長も務めているので、これからは修善寺だけではなく、伊豆半島全体のことも考えていかなくてはいけないと思っています。修善寺までの道中が楽しくなければ、お客さまは来てくれないと思います。よって今後は伊東や稲取、西伊豆など各地のメンバーと一緒に、伊豆半島全体を盛り上げていきたいと思っています。魅力的な街というのはこれから日本全体にどんどん増えてくると思うので、自分の温泉街だけよくしようというのではなく、エリア全体で魅力を出していくことでこの先もつながっていけると考えています。
原さん、ありがとうございました!修善寺温泉のことだけではなく、他の温泉地と協力して伊豆半島全体を盛り上げていこうと頑張っている原さんの活動を、今後も応援させていただきます。