
Interview Vol.120
プロのアーティストによるウォールアートで
佐賀県多久市をサブカルな街にしたい!
長谷工グループのインキュベーション組織「UXDセンター」が行う共創プロジェクト「EVOLOVE(エボラブ)」は、2025年、日本各地の“街を明るくする”活動を開始します。
あなたにとって“明るい街”とはどんな街でしょうか?商店街に活気がある街、街灯が増え夜も安心な街、若い世代が移住してくる街、大学を卒業したら子どもたちがまた戻ってくる街、多くの観光客が遊びに来る街、季節ごとに花が咲き乱れる街。あなたの街をもっと“明るい街”に変えるために、みなさんはどんな活動をしているのでしょうか。
今回は、佐賀県多久市で、画家を招いてのウォールアートを行いながら街を明るくする活動を行う、多久市ウォールアートプロジェクト実行委員会の副委員長でもありこのプロジェクトの発起人でもある冨永ボンドさんと、プロジェクトマネージャーの大島仁美さんに話を伺いました。

冨永ボンドさん

大島仁美さん 多久駅南口 自由通路階段入口の作品の前で(Artist:AKI)
アートがたくさんある街として
訪れる人に自信を持って
「ようこそ」といえるように。
現在の活動について教えてください。
ボンド画家としてアーティスト活動を行いながら、まちづくり事業である“多久市ウォールアートプロジェクト”では、ウォールアートを描いたり、プロジェクトの活動における企画などの提案を行っています。
「街を明るくする活動」について、取り組みのきっかけを教えてください。
ボンド私はもともと福岡県出身で、2014年に転職と結婚を機に佐賀県へ移住しました。私の描く絵はサイズが大きく、住居とは別にアトリエがほしいと考えていたところ、多久市は空き家が多く、広めの建物が安く借りられるので、同じ年にアトリエを開きました。
県外からアトリエに絵を見に来てくださる人も多かったので、アトリエの中にバーを作ってドリンクを出したりしていました。そのうちに行政の人たちも飲みに来るようになり、まちづくりの話をするうちに「まちづくり協議会に入ってプロジェクトをやりませんか?」と誘われたのがウォールアートプロジェクト設立の最初の一歩です。
当時は駅の中枢施設「多久市まちづくり交流センターあいまれっと」を盛り上げる部会、駅を中心としたエリア全体を盛り上げるエリアマネジメント部会、まちなみ部会の3つの部会があり、私はまちなみ部会に所属しました。まちなみ部会では、駅前の京町商店街を活性化させる活動が中心でした。その頃、商店街には80件ほど店がありましたが、70件ほど空いていたので、出店者を募ろうと話をしていたら、完全に空いているテナントは5件ほどしかありませんでした。あとの65件は、店舗の上に元の店主が住んでいたり、持ち主がそもそもわからないという物件だったので、その段階で店舗を増やすことは諦めました。
私は当時から壁画も描いたので、「(店舗の誘致ができないなら)シャッターに絵を描こう。ここを日本一のシャッターアート商店街にしよう」という話になって、京町商店街でシャッターアートプロジェクトを立ち上げたのですが、当初はなかなか商店街の方から理解を得られず、それもできませんでした。
ちょうどその時期に佐賀県の地方創生の補助金に応募したので、今度は佐賀駅を中心とした半径500m以内の中心市街地に壁画を描いて、そのマップを作ってアートスポットを回遊してもらおうというプロジェクトに切り替えました。それが、現在の多久市ウォールアートプロジェクトの始まりです。最初に描かせていただいたのは、おじいちゃんが営んでいるジャズバーで、ジャズミュージシャンの絵を描くアーティスト・KOZI HAYAKAWAさんに描いてもらいました。

プロジェクト最初の作品「Barばらーど」※現在は消失中(Artist:KOZI HAYAKAWA)
「街を明るくする活動」によって街に変化はありましたか?
ボンド徐々に壁画ができてくると、最初は反対意見をいっていた人たちからも「街が明るくなっていいじゃないか」といってもらえるようになり、「描いてほしい」という声も増えました。今はカメラを持って街を歩く人も増えましたし、海外の方も見かけるようになりましたね。でも、こういうのは2、3年で飽きられてしまうおそれもあるので、もっとSNSを活用して全国的に広める必要があると思っています。多久市には他の市街にはないアーティストたちが描いた壁画がたくさんあるという認識を広めて「ようこそ」といえる街にしたい。子どもたちが県外へ進学や就職して、出身地の話をする時に自慢できるような街にしてあげたいと思っています。だから今は、プロのアーティストによるアートを2027年3月までに市内に100ヶ所つくることを目標に頑張っています。

多久駅南口エレべータ外壁に書かれた作品(Artist:MON/大山康太郎)

児童センターあじさいに描かれた作品(Artist:simo)
大島私が4年前に移住した時はコロナ禍で街の士気も下がっていました。でも、今は年間100泊以上アーティストがこの街に住んで制作活動している、こういう状況を生み出せたことは大きいと思います。また、街の人たちとアーティストの関係性もできて、まちづくりに自分が関われていることを誇りに思ってくださるアーティストも多く、よかったと思います。SNSでもバイカーの方がバイクと壁画の写真を載せていただき、それらが拡散されたり、いい化学反応が起きてきているなと感じています。


まちあるきイベント
日本ペイントとコラボした経緯を教えてください。
大島3年前から、プロジェクトのバックヤードの部分を私が担当させていただけることになりました。アーティスト方々が渾身の作品をまちに残してくださっている一方で、その謝金や制作費には、画材代の負担が含まれており、ビジネス面ではお返しができていない点がもどかしく感じており、何とかできないかと思っていました。その時、1人のアーティストさんから「日本ペイント株式会社が、塗料を通じて社会に幸せをお届けする社会貢献活動”HAPPY PAINT PROJECT”に取り組んでいる」との話を聞いて、ダメもとでお願いをしてみようということになりました。ちょうど2024年は佐賀県が国民スポーツ大会(旧国体)の開催地となり、県総出で盛り上げているタイミングでもあったので、私たちもスポーツ会場へ行くまでの道のりを案内するアート看板をつくる子ども向けのワークショップを実施し、“アートのおもてなし”という企画を立ち上げ、日本ペイントさんへ塗料協賛をお願いしました。先方の「地域活性、教育、アーティストへの塗料協力を通じて地域に貢献したい」との想いと一致したこともあり、徐々に関係性を築いていって、多久市と日本ペイントの連携協定を結び、現在は多久市ウォールアートプロジェクトにも塗料を特別協賛いただいているという経緯です。

京町商店街入口にある深山生花店倉庫南側の巨大壁画(Artist:Gravityfree)
お二人にとっての地域活性を教えてください。
ボンドやはり街が盛り上がって人口が増えていくことだと思います。この街をアトリエとして使える街にしたい。アーティストたちが週末アトリエを構えるようなサブカル的な街にすれば話題になります。東京の下北沢のように「多久市にアートグッズ買いに行こう」という街になってほしい。それこそ京町商店街がそうなればすごく話題になると思います。

Art Studio ボンドバの壁面作品(Artist:冨永ボンド)
アートで人と街を盛り上げる
応援の連鎖をしていきたい。
お二人にとっての“EVOLUTION✕LOVE”を教えてください。
ボンドアーティストは自分が作りたいものを作り続けないといけないと私は思っています。それが社会にどう貢献するかと考えていたらものづくりはできない。だからまず作りたいものを作っていくことで、結果的に誰かの暮らしを豊かにしたり、地域が盛り上がることにつながっていき、地域の人たちに喜んでもらえる。応援の連鎖ですね。それが私にとっての“EVOLUTION✕LOVE”です。
大島私は、パブリックアートであるこのプロジェクトに可能性を感じています。通常のキャンバス画は自分の家の中に気に入ったアーティストの作品を描いて、自分や家族が楽しむものですが、パブリックアートはまちなかに描いており、屋外に向けて作品が描かれています。商店街の近くに住んでいる方から「まるで私のために描かれているような絵」と聞いて、それを実感しました。場所をご提供いただく施主さんの中では「うちの絵が一番いい」と自信をもってわが子のように可愛がってくださる方もいらっしゃり、このムーブメントを今後どうやって生かしていくかを考えることが私にとっての“EVOLUTION✕LOVE”です。

アーティストさんの作品制作時の様子
10年、20年後はどうなっていたいと思いますか?
ボンド若者の移住者を増やしたいですし、観光資源を作って人を呼びたいですね。東京で出店する予定があるので、そこで多久市のウォールプロジェクトの魅力を発信したいとも思います。ボンドという名前のように、地方と都心をつなぐボンド役をやっていたいですね。
大島この取り組みを見ていた子たちや未来のアーティストにとって、「あの街で描くことがステータス」といってもらえるようになっていたいですね。
ボンドさん、大島さん、ありがとうございました!アートで街と人々の暮らしを明るくするお二人の活動を今後も応援させていただきます。