Interview Vol.127
大津市に住む人が自分の街を大いに自慢できる
「イキゴコチのいいまち」を創りたい。
EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第127弾の今回は、滋賀県大津市で放課後等デイサービスやスポーツイベントを通して「イキゴコチのいいまちづくり」に取り組む生山裕人さんに話を伺いました。
生山裕人さん
野球からまちづくりへ
うまくいかなかった経験をチカラに
生山さんの現在の活動について教えてください。
生山大津市で放課後等デイサービス「シーズステップ」を運営するとともに、「スポーツ×社会課題」をテーマに活動する「一般社団法人ASUWA」の理事を務めています。どちらの活動も、子どもや地域が持つ可能性を共に見つけ、育んでいくことを目的にしています。
「シーズステップ」では、子どもの発達の土台づくりを大切にし、ビジョントレーニングを取り入れた療育(発達を支える取り組み)を行っています。「ASUWA」では、「スポーツを通じてどんな社会の可能性が拓けるのか」という問いに向き合っています。 今後は大津市でのまちづくりに関わる社団の設立など、さらに多角的に活動を広げていく予定です。
生山さんが現在の活動を行うようになったきっかけを教えてください。
生山きっかけの一つは、妹の娘がダウン症で生まれ、その後に放課後等デイサービスを利用し始めた時のことです。実際に通うなかで妹から「理想の放課後等デイサービスをつくりたい」と相談され、一緒に考えるようになりました。そこから妹と共に「シーズステップ」を立ち上げることになりました。
シーズステップスタッフの皆さんと生山さん(左から2番目)
僕自身の経歴としては、子どもが好きで先生を目指して教育大学を受験しましたが不合格となり、演劇学科に進んで芸人を目指しました。ただ、野球への思いが強すぎて、仕事になるわけないものに夢中になりすぎ、その執着が他の可能性を奪い自分の人生を狭めているように感じました。そこで21歳の時に「今しかできない野球でどこまでいけるのか」を確かめたいと思い、親の反対を押し切って在学中に独立リーグのトライアウトを受け、合格しました。香川で2年間プレーしたのち、千葉ロッテマリーンズから育成ドラフトで指名され、入団しました。
千葉ロッテマリーンズ育成選手時代の生山さん
野球をやってきて感じたことは?
生山独立リーグで2年、千葉ロッテで4年プレーしましたが、27歳で戦力外に。プロになる前は365日24時間、野球のことしか考えられなかったのに、引退後に感じたのは 「もう野球やらんでええんや」 という安堵でした。
選手生活は失敗や挫折の連続で、最後はグラウンドに立つことが怖くなるほどでした。けれど、その経験があったからこそ、「うまくいかない気持ち」を理解できる自分になれたのだと思います。
引退後は東京でウェディングプランナーをしたり、アスリートのキャリア支援プロジェクトを立ち上げたり、小中高大で講演活動をしていました。放課後等デイサービスを立ち上げる前は、独立リーグで2年間コーチ業もしました。うまくいかない経験も山ほどしましたし、生死をさまようほど精神的に病んで心療内科に通った時期もありました。 その経験が今、仲間やスタッフと関係を育み、利用者さんやご家族の思いを受け止める力になっているのかなと感じます。
比べるものではないかもしれませんが、僕は「できない」「うまくいかない」という気持ちを痛いほど理解できる。障害のある人や地域で生きづらさを感じる人たちの声を社会につなげ、つながりを育んでいきたいと考えています。
イキゴコチを問いながら
「大人をたのしんでいる大人」を増やしたい。
まちづくりに関する思いを教えて下さい。
生山僕が大切にしているのは「イキゴコチ」という考え方です。
「生きがい」だと少し重たく感じるし、「居心地」だと場面ごとの断片的な印象になってしまう。そこで僕は、「生きていく上での心地よさ」という意味を込めて、「イキゴコチ(生き心地・粋心地)」という言葉をつくって使っています。
イキゴコチは外から与えられるものではなく、自分自身がふと「ここにおるの、なんかええな」と思える感覚。SNSで映える場所や虚像ではなく、リアルな人との関わりの中から育まれるものだと思っています。
今は、アスリートや学生、地域の仲間たちと「どうやって自分たちの力を社会に還していくか」を考えています。僕が大事にしているのは、ただ成功を目指すのではなく、自分の経験や得たものを周りと分かち合う姿勢です。それぞれがイキゴコチを大切にして生きることで、街全体が豊かになっていく。 そんな関わり方を広げていきたいです。
そして「大人をたのしんでいる大人」を増やしたい。大人がたのしそうに生きていれば、子どもたちは「はやく大人になりたい!」と自然に思える。そんな循環が生まれる街こそ理想の街だと思っています。
僕がやりたいのは、いわゆる“優秀”の定義をぐちゃぐちゃにすることなんです。学歴や肩書きだけが価値じゃなくて、地域でおもろい人、子どもに寄り添える人、失敗から立ち上がってきた人…そんな多様な人が認められる街こそ「イキゴコチのいいまち」なんです。
野球独立リーグコーチ時代(滋賀県のチームにて)
余白を愛し、
人と街をつなぐハブに。
生山さんにとっての“EVOLUTION✕LOVE”を教えてください。
生山僕のキャッチコピーは「人生は壮大なネタ創りだ」です。上手くいかなかった経験も5年後10年後にはネタになり、その人の深みをつくると思っています。
そして、「こうあるべき」と決めつけるより、「こっちもいいし、あっちもいい」と余白を残して受け止めることを大事にしています。その余白を愛せることが、僕にとってのEVOLUTION×LOVEです。
今後はどのような活動をしていきたいと考えていますか?
生山大津市にある比叡山延暦寺をひらいた最澄上人が説かれた「一隅を照らす」という言葉があります。自分の立場でベストを尽くすことで、世の中全体が明るく照らされるという意味です。千年以上の時を経て今、社会で隅に追いやられた気持ちになっている人たちが照らされるような街であってほしい。
都会と比べると光が当たりにくい地方都市でまちづくりを行い、そこで暮らす人たちに光を当てたい。年齢、業界、都市と地方など、あらゆる垣根を越えてハブになれるような存在でありたい。 そして、大津に住む人が嬉しそうに大津の魅力を語る未来を描いていきたい。そのために人生をかけて動き続けていきます。

生山さん、ありがとうございました!さまざまな経験の中から生まれた生山さんの想いをまちづくりに落とし込み、イキゴコチのいいまちをつくっていく。そんな生山さんの情熱ある活動を、今後も応援させていただきます。