空でつながろう

Interview Vol.135 日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、
ものづくりと地域のすばらしさを発信。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第135弾の今回は播州織の産地、兵庫県西脇市で播州織のブランド「tamaki niime」を営む玉木新雌さんに話を伺いました。

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

玉木新雌さん

播州織の職人と出会い、
産地へ移住し、開業。

現在の活動について教えて下さい。

玉木播州織の産地、兵庫県西脇市でショップ&ラボ「tamaki niime」を営んでいます。糸を染めるところから作品にするまで、一貫して手がけています。

西脇市で活動することになったきっかけを教えてください。

玉木私は洋服店を営む親のもとに生まれ、幼少の頃は売り場で親が働く姿を見ながら過ごしてきました。本当にいいものを提案する親の接客を毎日見ることで、観察する力、考える力、追求する力が養われたと思います。だから学生時代も含めて常に自分の中には「アパレルって何だ、ファッションってなんだ」という追求があって、モヤモヤとした気持ちを抱えていました。

大阪で学生時代を過ごしてそのまま生地の商社に就職し、1年半勤めました。でもモヤモヤとした気持ちは収まらなくて、自分が着たいもの、創りたいものを作りたいとオリジナルブランドを立ち上げることにしました。素材展を見て回るうちにひとりの播州織の職人さんと出会いました。その職人さんは「このままだと播州織の産地がだめになる。自分で開発していかなくてはならない」と思っていて、それなら一緒に生地の開発をしていこうという話になり、私は2009年に西脇市へ移住しました。他になく再現性のない、スペシャルなものを創りたいという気持ちも一致しましたね。現役の職人さんたちとコミュニケーションをたくさん取りながら、試行錯誤を重ねて最初はショールを製作しました。この20年の間、「自分でできることはすべて自分でやる」というミッションを掲げて、やれることを少しずつ増やしてきたという感じです。

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

自社栽培を行うコットン

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

「tamaki niime」のショール

ブランドを立ち上げて、難しいと感じたことはありましたか?

玉木自分でできる範囲を超えて、いよいよ人を雇うフェーズに入った時、思っていたより全然うまくいかなかったことです。私はいわゆる“左脳人間”で、常に感覚で動き、何でも自分で試行錯誤してやってしまうタイプだから、これまでも自分でいろいろなことを解決しながら生きてきました。でも人に言葉で指示しなくてはいけない立場になると、私の思っていることが全然理解してもらえないんですよね。「事前にちゃんと共有して」と社員に怒られています(笑)。「事前には気づかへんかってん、今ひらめいたん」、って言っても通じなくて。人に想いや考えを伝えることの難しさを、今も感じながら仕事をしています。

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

「tamaki niime」のlab

西脇市でブランドを立ち上げてから変化はありましたか?

玉木私が最初西脇市に来た時、最盛期には約1,000件あったメーカーが、100件ぐらいに減っていたということもあり、産地の人たちは「もうここは衰退している」と、モチベーションが低い状態でした。でも、よそから来た私にとっては、他の産地に比べたらまだまだ元気だと思えたのです。播州織は有名ブランドにも起用されていますし、昔は中東アラブの民族が頭に巻く「ヤシマグ」にも採用されていて、知名度はあります。だから「まだ可能性があるし、今ならできますよ」と働きかけましたが、最初は相手にされなかったですね。それで、「働きかけても動いてくれないんやったらもう自分でやろう」って思って、自分ができることをコツコツとやり続けてきた結果、播州織の次の世代を担う若手の方々が「自分たちもできることがある。オリジナルの生地を開発したり、オリジナルブランドを立ち上げてちゃんと自販していこう」と、ジワジワと新たなチャレンジをする人たちが増えてきたように思います。その結果、繊維関係や染色関係の方々をはじめ、県内外や海外からの視察も訪れるようになり、関係者人口も増えました。私たちがここで直営店を立ち上げたので、西脇市に訪れる観光客も増えていると思います。地元出身の若い人たちがUターンで戻ってきてこっちで店を開いたという話も聞くようになり、嬉しいですね。

また、想いを込めたモノづくりをずっとここでしていくためには、想像力豊かな人材が求められるし、大人だけではなくて、子どもたちの創造性を豊かにすることが重要だと思っていて、やっぱり教育が大事だと思っています。昔のムラ社会のように、子どもも大人もおじいちゃんやおばあちゃん、動物たちもなんとなくゆるい関係性を保てるような場があることが大切なのかなと思います。そのためには公民館とか、カフェとか、バーもあったほうがいいかもしれません。こうしたことを今後、地域を巻き込んでやっていけたらいいなと思っています。

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

動物たちと共に暮らす

玉木さんにとっての地域活性を教えてください。

玉木私は「都会より地方のほうがいいよね」派。都会の便利さを取るか、地方の豊かな環境を取るかといわれたら圧倒的に豊かさを選びます。子育てをするにも自然が多いほうがいいですしね。それに気づいた人たちには、ぜひここへ来てほしいと思っています。それが地域の活性化につながる。「仕事がないから」という人たちには「うちで仕事があるよ」といえるようになりたい。会社を継続していくためにもいい人材に来てほしいですからね。そのために、みんなのテンションが上がるようなことを会社で実現していきたいと思っています。

西脇市は、東経135度、北緯35度が交わるところにある、いわゆる「日本のへそ」。ここが日本の中心です。その日本のへそで、モノづくりをちゃんと考えて、日本だけではなく世界に向けて発信していくことを大事にしていきたいですね。

古き良き日本の豊かさを、
失わないためにできることを。

玉木さんにとっての“EVOLUTION✕LOVE”を教えてください。

玉木学生時代に行ったフランスのルーブル美術館で、現地の子どもたちに友達の財布が盗まれそうになったことがあります。子どもが犯罪をすることも衝撃でした。こんなことが起こる国のことを思うと同時に、あらためて日本の豊かさを実感しました。地方だと家の鍵が開けっ放しだったりしても、怖い目に遭うことは少ない。これってありがたいなと思って。でもこの豊かさや安心安全、ご近所づきあいに最近は価値が見いだせなくなってきている気がします。こうした日本の豊かさを失わないために、自分ができることはなんだろうと考えながら西脇市に来て、豊かだった時代に生きてきた人たちと出会いました。今はこの人たちとつながっていけるような関係を作り続けていくことが大切なんだと感じています。それが私にとっての“EVOLUTION✕LOVE”です。

日本のへそ、西脇市で播州織製作を通して、ものづくりと地域のすばらしさを発信。

「tamaki niime」のshop

10年、20年後はどうなっていたいと考えていますか?

玉木子どもたちがものづくりに関わってくれていたらいいなと思います。私たちが想像できないような新しいものが生まれて、お客さんも喜ぶという循環ができていたら嬉しい。AIで仕事はなくなるといわれていますが、こういう産業は基本的になくならないと思います。より多くの人に知ってもらい、継承してもらうことを願っています。

玉木さん、ありがとうございました!播州織に新たな風を吹き込みながら、ものづくりを通して産地の活性化を図っていく玉木さんの活動を、今後も応援させていただきます。