空でつながろう

Interview Vol.166 元プロスケートボーダーが滋賀県大津市と
長浜市にスケートパークを整備し、
地域貢献と次世代のスケートボーダー育成に尽力する。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第166弾の今回は、元プロスケートボーダーであり、現在は滋賀県の土木技術職員としてスケートパーク整備に力を注ぐ宮元孝昌さんに話を伺いました。

元プロスケートボーダーが滋賀県大津市と長浜市にスケートパークを整備し、地域貢献と次世代のスケートボーダー育成に尽力する。

宮元孝昌さん

県職員としてパーク建設に関わる傍ら
スケートボーダーとして監修役に。
県との橋渡し役として活躍。

現在の活動について教えて下さい。

宮元滋賀県の土木技術職員として道路の防災保全に関する予算の管理や道路の維持管理に関する業務を行っています。現在は道路部門に所属していますが、これまでには水道・河川・砂防の整備や維持管理を担当していたこともあります。また、県の都市計画課が発注するスケートボードパークの整備にも監修者として関わっております。

今の活動を行うことになったきっかけを教えてください。

宮元高校生の頃に進路を考えた際に、大学で環境を学ぼうと計画環境学科に進学しましたが、入学してから土木分野の学科と気づきました。でも、入ったからにはしっかり学ぼうと土木を勉強しました。スケートボードは12歳で始めてからずっと続けていて、大学時代に日本スケートボード協会公認のプロ資格を取得しました。就職は大学で学んだ土木の知識を活かそうと思い、地元のコンクリート会社に就職しましたが、10年ほど勤めたのちに転職を考えました。というのも、当時はコンクリートの品質管理や試験のため、公共工事の現場に出張することが多く、民間会社で培ったコンクリートの知識や大学で学んだ土木の知識を公共事業に活かせるのではないかと考えるようになったからです。当時はコンクリートの資格取得のため品質管理や老朽化対策を勉強していたので、道路、河川、下水管などの公共施設の老朽化対策に、管理者側の立場で携わってみたいと思い、県の採用試験を受けたのが入庁のきっかけです。コンクリートを作る側から発注者側になって、滋賀県の幅広い事業に携わることで、自分自身をさらに成長させたいという考えもありました。また、地元が好きなので、仕事を通して地元に貢献をしていきたいという思いもありました。

スケートパークの設計を行ったいきさつを教えてください。

宮元学生の頃は、滋賀県内にたくさんのスケートボーダーがいて、プロスケートボーダーも多かったのですが、スケートボードパークは民間施設しかなくて、無料の公共スケートボードパークは県外にしかありませんでした。時代も変わり、東京オリンピックで正式種目に選ばれオリンピックで日本人選手が金メダルを獲得し、注目を集めたことで、『これから新たに作る公園にはこうしたアーバンスポーツ施設があってもいいのでは?』という声が、多くの自治体に届くようになり始めました。これを機に、全国各地でスケートパーク建設への検討が動き始めたと思います。滋賀県が管理する都市公園でも、公園の再整備が計画されていたこともあり、スケートボードパークの整備について検討され始めました。その当時は、スケーターの仲間と協力してパーク建設の要望活動や情報収集をしていたこともあり、都市計画課でスケートボードパークの検討をされていることを知りました。偶然にも、都市公園の検討をされていた方が自分の上司として異動してこられたので、「実は僕スケートボードをしているのですが、以前の部署でスケートボードパークを計画していたと聞いたのですが」と話したら、「もっと早く知りたかった!そういう経験があるんやったら後任の担当に紹介するよ」と言っていただけたことで、スケートボードパークの計画段階から携わることができました。滋賀県庁では、異なる分野の人たちが集って新しいプロジェクトを検討する「施策活性化チャレンジ制度」がありましたので、その制度を活用してスケートパークの検討計画に携わることができました。プロジェクトにはアーバンスポーツが好きな県職員が集まり、スケートパーク企画に向けて動き出しました。それが今から4年前のことです。

プロジェクトでは、都市公園内に仮設のスケートボードパークを作ってどのくらい人が集まるか社会実験を行い、利用者アンケートを取って必要性を問いました。想定以上のスケートボーダーが集まってくれたことで、スケートボードパークの必要性が認められ、本格的に事業が始まりました。予算が通ってからも、県とスケートボーダーの意見交換を行いながら、県とスケートボーダーの橋渡し役として協力させていただき、順調に整備が進んだことで令和7年9月15日に大津市の春日山公園と令和7年10月19日に長浜市の奥びわスポーツの森に県営公園としては初のスケートボードパークが完成しました。

一方で、春日山公園にスケートボードパークを作った背景には、練習場所がないために、スケーターが駅前でスケートボードをして、騒音で苦情が出ていたことがあります。『スケートボーダーを排除するのではなく、滑るところがないなら場所を作ってあげるべき。』という地元の方の要望もあり、春日山公園の再整備計画でスケートボードパークを検討することになりました。今まで駅前や駐車場とかで滑っていた人たちが公園を利用するようになり、問題は解決したかなと思っています。

元プロスケートボーダーが滋賀県大津市と長浜市にスケートパークを整備し、地域貢献と次世代のスケートボーダー育成に尽力する。

春日山公園 スケートパーク(写真左)と奥びわスポーツの森スケートボードパーク(写真右)

スケートパークを作ったことで変化はありましたか?

宮元スケートボードをやめていた子が復活したり、小さな子供がスケートボードを始めたり、スケートボード人口が増えました。県外のスケートボーダーも来てくれて交流も深まっています。特に奥びわスポーツの森は、スケートパークと公園の間は柵もなくて、すぐ真横に遊具があるので子どもがスケートボードを見て興味を持ったり、ウォーキングをしているおじいちゃんおばあちゃんが拍手したり、そんな新しい交流が生まれています。

僕が若い頃は、才能がありながらも、練習環境に恵まれずにやめてしまって、もったいないなと思うことが何度もありました。こういうのって公共事業として行政側の想いだけで作っても、良いものはできない。今回のプロジェクトでは自分がスケートボーダーとして監修役として関われたことで、双方の立場を理解できるので、県との橋渡し役になれた。そういう意味では、自分の夢が一つ叶ったかなと思います。

宮元さんにとっての地域活性を教えてください。

宮元つい最近、滋賀県の転入者が転出者を上回る『転入超過』となったと知りました。滋賀県に住んでいると実感はなくて、僕が住んでいる地域は過疎化してきているように感じます。そんな中、若い子の遊びのひとつとしてスケートボードを始めてもらうのは地域活性に対して効果があると思います。一生に一回はスケートボードと触れ合う、そんな場所が多ければ多いほど、地域に残ってくれる人も多くなるのではないでしょうか。そういう意味で、公共施設で、無料でスケートボードが体験できる場所ができたことは地域活性化につながっていると思っています。

元プロスケートボーダーが滋賀県大津市と長浜市にスケートパークを整備し、地域貢献と次世代のスケートボーダー育成に尽力する。

奥わスポーツの森 オープニング日の記念撮影

プロスケートボーダーを辞めて
新しい取り組みをしたことで、
次世代育成の目標に向かうことができる。

宮元さんにとっての“EVOLUTION✕LOVE”を教えてください。

宮元尊敬するプロスケートボーダーが最近、インターネットの記事で「山を登るのはいい。でも、降りてくる先が重要なんだよ。」と言っておられて、すごく感銘を受けました。自分もプロスケートボーダーとしての一線を退く時に、次世代を育てたいと考えて。その想いからプライベートのスケートパークを作り、そこに周りの子たちを呼び、そのおかげで自分もスケートボードが楽しくなったし、その取り組みのおかげで、今のパーク設計にもつながっている。あのタイミングでプロスケートボーダーを続けずに、きっぱりと辞めて新しい取り組みをしたこと、それが僕にとってのEVOLUTION✕LOVEです。

スケートボードは1人でやるものではなくて、みんなで楽しむものだと気付かされたのも大きかったですね。

10年後、20年後はどのようになっていたいですか?

宮元10年後はまだ54歳だから自分もスケートボードをしていると思うし、生涯現役だと思っています。自分が監修したり、設計したパークで育ったスケーターと滑っていたいですね。スケートボードの文化が街の未来のために良い方向に進んでいたら嬉しいですね。

宮元さん、ありがとうございました!土木技術職員として、またスケートボーダーとしてスケートパーク創設の夢を叶えながら、次世代を育てて将来的な地域貢献にもつなげていく活動を行う宮元さんを、今後も応援させていただきます。