空でつながろう

Interview Vol.172 里山を編み、未来を綴る。
デザインを超えた『地域編集』の現在地

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第172弾の今回は、宮崎県延岡市を拠点にグラフィック・映像・編集といったクリエイティブを軸に地域ブランディングを手がけながら、温泉施設・キャンプ場の運営や農業まで自ら実践する「オノコボデザイン」代表の小野信介さんに話を伺いました。

里山を編み、未来を綴る。デザインを超えた『地域編集』の現在地

小野信介さん

デザインという「仕組みごと」を
この地域に根づかせてきた15年。

現在の活動について教えて下さい。

小野宮崎県延岡市で「オノコボデザイン」という会社をやっています。スタッフは10名ほどで、グラフィック・映像・編集を軸に、自治体や民間企業の地域ブランディング、移住定住支援、テレビCM・企業PR、商品開発まで、領域を問わずいろんな仕事をさせてもらっています。継続的に関わっている市町村が高千穂町、椎葉村、諸塚村、美郷町、延岡市と5つほどあって、県北十市町村規模に加えて福岡県の一部の町でも仕事をいただいています。最近は、自分の故郷でもある延岡市の祝子川(ほうりがわ)地区で、温泉施設とキャンプ場の指定管理者としても動いています。実家が長年民宿をやっていたんですが廃業したので、その場所をカフェにリノベーションして。田んぼの米づくりも家族から継承しました。デザイン事務所の代表でありながら、温泉の運営者でも農家でもカフェオーナーでもある、という状態です。

今の活動を行うことになったきっかけを教えてください。

小野自分から積極的に働きかけたというより、時代と自分の変化が同じタイミングで重なっていった感じなんですよね。

独立したのは26歳の頃で、最初は立体的なレリーフやモニュメントなど造形物をつくる仕事をしていました。グラフィックや映像など今のクリエイティブに特化してきたのはここ15〜20年の話です。

地域の仕事に関わるようになったきっかけは、延岡市に高速道路が開通した際のポスター制作でした。「いいポスターをせっかくだから作りたい、一緒にやってくれんか」って声をかけてくれた市役所の担当者がいて。当時、この地域には自治体がデザイナーに発注するという文化がほぼなかったんです。デザイン費を請求すること自体がなかなか難しい環境でした。たまたま、やる気のある公務員の人が、随意契約の前例を一つずつ積み上げながら、うちに指名発注できる道を作ってくれた。その実績を見て、隣の村からも声がかかるようになって。ちょうど県北の自治体がクリエイティブの重要性に気づき始めたタイミングに、その場所にいたのが私だけだった、という感じです。

活動を始めて街に変化はありましたか?

小野一番わかりやすいのは椎葉村の話だと思います。椎葉村とは「ONLY ONE Shiiba(オンリーワン椎葉)」という冊子を今号で22号まで出し続けていて、もう10年以上の付き合いになります。

最初の依頼は「村の概要をまとめた冊子を作ってほしい」というものでした。ふつうなら人口や産業、学校の数を並べた行政的な冊子になるところを、私は村に通い勝手に取材して、写真を撮って、エッセイのように書いた。本屋さんに並ぶような雑誌のレベルにしたかった。納期ギリギリで、しかもページ数は契約の倍以上にして出したんです。ダメとは言われないだろうという自信はありました。スタートの前に役場の課の人たち全員と古民家に泊まりがけで飲み会をして、最初に絆を作っておいた。課長もスタッフの皆さんも気持ちで押さえておけば大丈夫だろうと。

それが大変喜ばれて、「オンリーワン椎葉」という言葉は今では村のキャッチフレーズにもなっています。私が関わり始めた当初、移住者は1人か2人という状況でしたが、今は地域おこし協力隊の卒業生も含めて20数人が定着している。その中で起業して雇用を生んでいる若者まで出てきました。村のイメージが変わることで、来たい人・住みたい人が増えていった感じです。延岡市については、12万人規模の都市なので私ひとりのインパクトが見えにくいところはあるんですが、15年以上ずっとここで地道に仕事をし続けてきた。クリエイティブに対する認知度や水準が少しずつ底上げされてきているという実感はあります。

民間では、宮崎の辛麺で有名な桝元さんの例があります。1店舗から多店舗展開していくというスタートから一緒にブランディングとPRを担ってきて、今では東京にも進出した70店舗規模になりました。宮崎発のローカルフードが全国へ広がっていく流れをお手伝いできていることは、嬉しいことのひとつです。

里山を編み、未来を綴る。デザインを超えた『地域編集』の現在地

ONLY ONE Shiiba(オンリーワン椎葉)の冊子

小野さんにとっての地域活性を教えてください。

小野「何屋かわからないけど、とりあえずここに相談してみよう」という存在になれているのかなとは思っています。デザイン事務所という枠を超えて、いろんな相談が集まってくる感じで。

最近だと、高千穂町で中心市街地の空き地をどう活用するかというプロジェクトを3年かけてやらせてもらいました。住民のワークショップを開いて意見を集約して、それを設計に落とし込んでいく仕事です。コンサルタントでも建築士でもないんですが、クリエイティブが入ることで場が柔らかくなって、みんなが楽しみながら話し合いを進められる。そういうことを役場から期待されて発注してもらったんだと思っています。

デザインはあくまで手法でしかなくて、根底にあるのは「人に喜んでもらいたい」ということなんですよね。サービス業とデザインの境界がよくわからなくなってきた、というのが正直なところです。

うちのデザイナーたちも週末はカフェのバリスタをやったり、ケーキを焼いたり、田植えに出たりしています。半ば強引にではありますが(笑)。現場で体験することで、地域の人の話がわかるようになる。農家さんのことを表現するにも、自分が農業をやっているのとやっていないのとでは、出てくるものが全然違う。そういう感覚を会社の中に育てていきたいと思っています。

里山を編み、未来を綴る。デザインを超えた『地域編集』の現在地

美郷町での動画撮影や高千穂町での実証実験イベントの様子

里山を編み、未来を綴る。デザインを超えた『地域編集』の現在地

祝子川温泉でのイベントやセレモニーの様子

田んぼを残したいという思いが
デザイナーとしての自分の軸になった。

小野さんにとっての"EVOLUTION×LOVE"を教えてください。

小野12〜13年前に、父が米づくりをやめると言い出したことがありました。周りの農家さんも次々やめていく中で、イノシシも入り放題になって、家族全員が反対するなか、自分がやると言い張ったんです。米が作りたいという理由じゃなくて、田んぼを残したい、という理由で。

後から弟がその時の家族の議論をYouTubeにこっそり上げているのを見つけて、笑って見ていたんですが、よくよく考えたら、あれが大きな分岐点だったなと思います。

あの時説得されて都会向けのデザイナーになっていたら、今のような立ち位置にはなっていなかったと思うんですよね。田舎が好き、田舎を大事にしたいという気持ちを持ち続けてきたからこそ、農家さんとも、山の人たちとも、ちゃんと話ができる。クリエイティブのスキルを持ちながら現場に深く入り込めるデザイナーって、なかなかいないです。私にとってのLOVEはそこにあって、それがEVOLUTIONにつながってきたという感じですね。

里山を編み、未来を綴る。デザインを超えた『地域編集』の現在地

小野さんの田んぼにてオノコボデザインスタッフたちと

10年、20年後はどのようになっていたいですか?

小野個人的な使命感でいうと、祝子川(ほうりがわ)という集落を残したい。人口30名ほどの小さな集落で、このまま誰も関わらなければ10年で消滅してしまいそうな場所なんです。私があと10年頑張れば、50年続く場所にできるんじゃないかと考えています。

今「森へ」というビジョンを掲げているんですが、私が活動しているエリアはユネスコエコパークの指定地域で、「人間と自然の共生」がテーマなんです。手つかずの自然を残すのではなく、人が暮らし営みを続けることで自然が保たれるという考え方。人が住めなくなった山は荒れて、災害も起きやすくなる。だから人間が関わり続けることが、自然を守ることでもある。

たとえば今、温泉を薪で沸かすための薪ボイラーの導入に着手しました。その薪を地元の人たちと一緒に集めることで、竹林整備や耕作放棄地の問題にも取り組んでいく。観光で来た方がその景色を気に入って関係人口になり、また来てくれる。そういう循環をデザインのスキルで組み立てていく。それが今一番やりたいことです。

この仕組みは、日本全国のいろんな地域の参考になれると思っています。まだ始めて2〜3年ですが、他の地域からも「面白いことをやっているから関わらせてほしい」という声が届き始めているので、ここからが楽しみですね。

小野さん、ありがとうございました!クリエイティブを手放さず現場に深く入り込みながら、宮崎県北の山里で人が暮らし続けられる地域づくりに挑み続ける小野さんを、今後も応援させていただきます。