空でつながろう

Interview Vol.175 和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を
持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。今回は、和歌山県を拠点に地域デザイン会社株式会社ヒトノハ営みながら、複合スペース「汽ノ舎(きのしゃ)」の運営を通じて人と地域をつなぐ岩倉昂史さんに話を伺いました。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

岩倉昂史さん

3.11が価値観に大きく影響した。
地方の「余白」に可能性を見出して移住。

現在の活動について教えてください。

岩倉ヒトノハとしては、地域のさまざまなステークホルダーそれぞれが持つ「らしさ」をどうやって持続可能にしていくか、デザイン業務を通して取り組んでいます。グラフィックやウェブ、ポスター、冊子などの「見えるデザイン」と、ワークショップやヒアリングを通したビジョン策定などの「見えないデザイン」の両方を手がけています。クライアントはみかん農家さんや製材所、民宿といった民間事業者のほか、観光協会や県の移住定住課、町役場など公共の仕事も多いですね。年間の請求書の発行枚数でいうと約180件ほどになります。会社に営業部隊はいないんですが、おかげさまで紹介ベースで10年間続いています。

また、那智勝浦にある元農協の施設をリノベーションした複合スペース「汽ノ舎(きのしゃ)」の運営もしています。食や地域の素材、アートなど、さまざまなテーマを通して人々が混ざり合う場所を目指しています。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

ヒトノハ社内風景

今の活動を始めたきっかけを教えてください。

岩倉大阪生まれで幼少期は北海道、その後京都に移り、21歳の時に和歌山に引っ越してきました。和歌山に来てもう12年になりますが、それまではこんなに同じ場所にいたことがなかったですね。

きっかけを遡ると、高校時代まで戻ります。家は豊かな方ではなく、四人兄弟の長男として家のことをいろいろとしていました。高校2年生の終わりごろ、ちょうど3.11があって。世の中もざわざわしていて、今から振り返ると、価値観の…の変容が起きていると感じた時期でした。その頃、Twitterを通じて京都の大学生たちと繋がり、会いに行くようになりました。「どこで学んでいるのか」と聞くと、学生団体や留学の話ばかりで、大学の授業はあまり関係なさそうで。それで「今の自分には学費を払って大学に行くよりも、自ら行動した中で学んでいこう」と思い、高校卒業後はシェアハウスに入り、カフェを起業しました。デザインや心理学も大学に潜りながら勉強して、現場で修業もして。その後、14都道府県ほど回って、最終的に和歌山に着いた感じです。

和歌山を選んだ決め手は何でしたか?

岩倉縁とタイミングがすごく大きかったですね。最後は山口、沖縄、和歌山の3か所で迷ったんですが、共通していたのは「暖かくて、自然が豊かで、開発が進んでいないこと」でした。すでに開発されているものを変えるのではなく、ゼロをイチにしていくことがしたかったんです。和歌山の南の方は余白がたくさんあって、まだまだやりきれていないことが多い。伸びしろにしか見えなかったですね。

便利になっていく世の中は良いけれど、それぞれの面白さがなくなっていくのは悲しいと感じていました。地方には余白があって、いろんなライフスタイルや働き方の選択肢をまだ作れる。最後は、人や家のご縁とタイミングで移住を決めました。

活動を通じて変化はありましたか?

岩倉クライアントの視座が徐々に変わっていくのを実感しています。一年目、二年目は、ビジョンを作っても、クライアントにとっては、借りてきた言葉になってしまっていたこともありました。でも10年たつと、そのビジョンをさらにアップデートして次の段階へ進み始める。社会的な意義や企業としての価値を、クライアント自身の言葉でより深く理解して、さらに発展させていることが起きていて。「あの初動のブランディングがあったから、今の考え方を持てている」と言ってもらえることもあり、嬉しいですね。

雇用を拡大したい、農地を広げたい、新しい販路を開きたい、この地域をもっとよくしたい、と思考がアップデートされるたびに戦略もアップデートされて、また声をかけていただける。その人の人生のストーリーに寄り添えているのかなと感じますし、すごくやりがいがあることだと思います。

地域全体への影響という点では、数値として大きな変革を起こせたとはまだ言えないですね。観光の指数は上がっているけれど、人口は減り続けている。この熊野の土地には1500万年前の地層があり、1400年前から続く信仰の文脈がある。そういう長い時間の流れの中で、自分の活動の「一瞬」が何なのかを考えると、語りにくい部分があるのも正直なところです。ただ、クライアントのところで働きたいという人が出てきたり、うちの会社に入ってきてくれる地域の人がいたり、関わることで未来に希望を持ってくれる人がいる。そういう変化はあると思っています。

また、自分はあくまで移住者なので、内外をつなぐ触媒のような役割だと思っています。外の情報や人を呼び込んで、中と外の信頼をつないでいく存在というか。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

ブランディング事例(善兵衛農園さんからの依頼案件)

岩倉さんにとっての地域活性とは何ですか?

岩倉地域活性は「結果」としてなるものかなと思っています。一人ひとりが自然の中で楽しんだり、その土地のお祭りや文化を楽しんでいくと、結果として経済効果が生まれたり、住む人が出てきたりする。交流人口や定住人口が増えることが、活性につながっていくのかなと。だから地域活性とは何かと問われたら、「まず一人ひとりが楽しむこと」が起点になると思いますね。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

汽ノ舎(きのしゃ)の建物

岩倉さんにとっての"EVOLUTION×LOVE"を教えてください。

岩倉「汽ノ舎(きのしゃ)」のことを話すのが一番しっくりくるかもしれません。那智勝浦の元農協の施設がシャッターを閉めたまま放置されていて、通勤途中によく目にしていたんですよ。レンガ調の建物で、すぐ後ろが海で。あの建物を見るのも好きだったし、建物からの目線も愛しいものがありそうだな、なんて思いながら。

農協の職員さんと話す機会があって企画書を書かせてもらい、ATMの存続など地域の合意形成も含めて約1年以上は取得するまでかかりました。その後は、京都の設計士もデザイナーも、地元の工務店も左官屋さんも、ワンチームでアイデアを出しながら形にしていきました。「この地域の二歩先をつくるイメージでこの場へ投資を」と考えながら作り上げた場所です。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

汽ノ舎(きのしゃ)設計MTG時の様子

オープンしてからもこの場所で働いてくれるスタッフが居てくれること、パティシエの方がイベントを企画してくれたり、「ここでやりたい」と言って自分たちの愛を乗せてくれる人が増えてきて。最初は僕だけの「この建物かっこいいな」という思いだったのが、今はいろんな人の愛が積み重なって進化しているような感じがしています。地域の子どもたちにとっても、「あんな場所があったよね」と誇れるような、動き続ける場所になっていけたらと思っています。

10年、20年後はどのようになっていたいですか?

岩倉この4月から和歌山県の南北で二拠点生活になるので、僕が中間になることで、南の面白さを北に伝えたり、面白い人を南へ連れてきたりしながら、県外と県内を混ぜていきたいですね。そして、もっと世界と和歌山を混ぜたいと思っています。熊野にはヨーロッパからも多くの方が来てくれているんですが、観光して帰るだけでなく、何かアウトプットして帰ってもらえるような仕掛けができたら面白いなと。学んだり、制作したり、発信したりしながら、世界と熊野・和歌山が混ざり合う場所を設計していきたいですね。

和歌山を拠点に、それぞれの「らしさ」を持続可能にするデザインで地域と人をつなぐ。

汽ノ舎(きのしゃ)で行われた縁日の様子

岩倉さん、ありがとうございました!地域それぞれの「らしさ」を丁寧に引き出すデザインで、和歌山の人と場所と文化をつなぎ続ける岩倉:さんを、今後も応援させていただきます。