空でつながろう

Interview Vol.178 地元を愛する瞳が、街の未来を変えていく。
高校生たちが挑む「滋賀に住みたくなる仕掛けづくり」

琵琶湖近くにある滋賀県立大津商業高校の3年生が取り組んでいるのは、「滋賀県への移住促進」という、およそ高校生の授業とは思えないスケールのプロジェクト。UXDセンター・木村健センター長が5月のとある1日、特別授業として教壇に立ち、不動産のリアルな数字から関係人口の本質まで、"本気の講義"を届けました。そして後半、生徒たちが見せた姿は、まさに「この街の未来を自分たちの手でつくる」という覚悟そのものでした。

「東京に住みたい人、いますか?」——沈黙が語った、地元への誇り

授業の冒頭、木村センター長が生徒たちに問いかけました。

「東京に進学・就職したい人、いますか?」

教室は静まり返りました。手を挙げる生徒は、ひとりもいません。大阪、京都にちらほらと手が挙がるものの、大半の生徒はこの滋賀に残ることを選んでいました。

「あれ、いないんですか? ……もしかして、東京がつらいって知ってる?」

木村センター長が驚きと笑いを交えてそう返すと、教室にはくすくすと笑い声が広がりました。この何気ないやり取りの中に、滋賀で育った高校生たちが、自分たちの暮らす土地に自然な愛着を持っていることが透けて見えます。

地元を愛する瞳が、街の未来を変えていく。高校生たちが挑む「滋賀に住みたくなる仕掛けづくり」

坪単価で知る、滋賀のポテンシャル

「皆さん、坪単価って知ってますか?」

木村センター長の講義は、いきなり不動産の話から始まりました。商業科の生徒たちにとっても、地価や住宅ローンはまだ縁遠い世界。しかし、数字が並び始めると、教室の空気が変わりました。

東京都千代田区の坪単価は約1,000万円。4人家族がゆったり暮らせる30坪の住まいを手に入れるには、土地代だけで3億円、建物を含めれば3億5千万円。一方、京都の中心部でも坪単価は約160万円、滋賀で最も地価の高い草津市でさえ約40万円。そして大津市はわずか27万円程度——。

「大津だと、家族4人がゆったりと暮らせる立派な家が約3,000万円で買えます」

生徒たちの目が大きく見開かれました。自分たちが何気なく暮らしている街が、東京の10分の1以下のコストで豊かな生活を実現できる場所だという事実。商業科で培った数字への感覚が、ここで光を放ちました。

「35年ローンで月々約10万円。夫婦で頑張って世帯年収1,000万円なら、十分に手が届く。でも東京だと、同じ条件で月40万円を35年間払い続けないといけない」

教室にどよめきが走ります。生徒たちはほぼ全員が戸建ての実家で育ってきた世代。自分たちが当たり前に享受してきた「庭があって、車庫があって、部屋が4つある、ゆったりとした住まい」が、東京ではどれほど贅沢なことなのか。自分たちの街の価値を、初めて"経済"という物差しで見た瞬間でした。

疲弊する都市生活者と、
滋賀という選択肢

木村センター長の声に、少しだけ実感がこもりました。

「東京都民は疲弊しています」

狭い家、高い家賃、満員電車、高い教育費。都内で働いているのに都内に住めない人が増え続けている現実。家を買えない人たちが埼玉や千葉、神奈川へとじわじわ広がっていく住宅争奪戦。その一方で、空き家は増え続けるという矛盾——。

「僕は渋谷で仕事をしていて、神奈川に住んでいます。隣に建ったマンションは1億円。正直、苦しいです」

プロのマーケッターが自身の生活実感を率直に語る。その言葉に、教室はしんと静まりました。遠い世界の話ではない。いま目の前にいる大人が、まさに体験しているリアルなのだと、生徒たちは感じ取ったようでした。

「滋賀に来るたびに思うんです。琵琶湖の風が吹いてきて涼しい。夏の東京はもう住めないくらい暑い。ここに家があったら、どんなに週末が楽しいかって」

窓の外に目を向ければ、初夏の琵琶湖が光を受けて輝いている。毎日見ている景色が、外から来た人にはこれほどの輝きに見えるのだということ。生徒たちの表情が、少し誇らしげに変わった瞬間でした。

「宣伝」ではなく
「関係」をつくる

講義の核心は、ここからでした。

「滋賀県を宣伝するということを、一回忘れてほしいんです」

観光PRといえば、きれいな写真を撮ってSNSに投稿し、来てくださいと呼びかけるもの——。そんなイメージを持っていた生徒たちに、木村センター長は「関係創出型」という新しい視点を投げかけました。

どれだけ美しい観光写真を発信しても、それだけでは移住には直結しない。旅行先としてのイメージは、住む場所としてのイメージとは別物だからです。大切なのは、滋賀で暮らす人々との関係性をつくること。SNSでつながる、趣味のコミュニティを通じて交流する、友達の友達が滋賀にいる——。そうした"疑似的な地縁"が、移住を検討するきっかけになるのだと。

「情報を届けるんじゃなくて、一緒に何かやろうよ、ここのイベントに参加しませんか、あなたの好きなものがここにあります——そうやって関わりをつくっていくんです」

生徒たちはメモを取る手を止め、真剣な表情で聞き入っていました。「なるほど、リアルな住人の声が大事なんですね」と、ある生徒がつぶやくように言いました。木村センター長は大きくうなずきます。

「そう、まさにそれです。学生の皆さんが発信するから意味がある。大人が仕掛けた感じがないんです。金儲けのためにやろうなんて、誰も思ってないでしょう?そこが大事なんです」

地元を愛する瞳が、街の未来を変えていく。高校生たちが挑む「滋賀に住みたくなる仕掛けづくり」

「暮らし観光」という新しい言葉

木村センター長が提案したもうひとつのキーワードが、「暮らし観光」でした。

観光は非日常。でも暮らしは日常。その間にあるグラデーションこそが、滋賀の本当の魅力ではないか——。

「毎日が観光だったら嬉しいですよね。いつも乗っている電車から、実はすごくいい景色が見えるポイントがある。生活の一部を切り取って、"これも観光だよ"って言っちゃっていいじゃないですか」

朝の通学路、放課後の琵琶湖畔、地元のスーパーでの買い物。そんな何気ない日常のワンシーンを、高校生自身の視点で切り取って発信する。「滋賀の暮らし図鑑」のような取り組みなら、今日からでも始められる——。

生徒たちの目が輝き始めていました。壮大な企画ではなく、自分たちの"いつもの風景"が武器になるという発見。それは、この街で暮らしてきた自分自身を肯定されるような感覚だったのかもしれません。

地元を愛する瞳が、街の未来を変えていく。高校生たちが挑む「滋賀に住みたくなる仕掛けづくり」

5つのチーム、5つの想い——後半のディスカッション

講義を受けて、いよいよ生徒たちの出番です。教室の空気が一変しました。それまで聞き手だった生徒たちが、チームごとに自分たちの企画を語り始めます。

最初に声を上げたチームの企画は、意外なものでした。

「滋賀県産のムベを使ったジャムづくり体験です」

ムベ——聞き慣れない名前ですが、「長寿伝説」との関連があるアケビ科のつる性植物だそうです。

滋賀は長寿県として知られ、その健康長寿を象徴する地元の食材を観光に結びつけようという発想。高校生ならではの、素朴だけれど本質をついたアイデアでした。

続いて発表されたのは、守山市と草津市でのお試し移住ツアー。

「守山は交通の便がよくて、教育支援が整っているから選びました」

地域の強みを冷静に分析し、移住者目線でプランを組み立てている姿に、木村センター長も感心の声を漏らします。「お試し移住で略して"試住"って呼ぶんですけど、実際にやると何割かの人が本当に住むようになるんですよ」というプロの知見に、生徒たちの顔がぱっと明るくなりました。

伝統工芸を新しい形で発信したいという思いで、信楽焼の体験イベントを提案したチームもありました。

彦根市チームは、歴史の街の魅力を若者に届けるツアーを構想。彦根城を軸にしながらも、「若者に向けて」という視点を忘れない姿勢が光りました。

どのチームにも共通していたのは、自分たちの足元にある魅力を、自分たちの言葉で伝えたいという強い意志。木村センター長が「協力者のリストアップをしよう」と促すと、生徒たちはすぐにペンを走らせ始めました。行政への問い合わせ、地元の生産者への取材、お試し移住用の物件探し——。やるべきことが具体的になるほど、チームの議論は熱を帯びていきます。それは木村センター長が講義で語った「関係創出」の理念を、早くも自分たちのものにしている証でした。

地元を愛する瞳が、街の未来を変えていく。高校生たちが挑む「滋賀に住みたくなる仕掛けづくり」

「滋賀みたいに暮らしたい」——未来への種まき

授業の最後に、木村センター長はこう語りました。

「"滋賀に移住したい"じゃなくて、"滋賀みたいに暮らしたい"。そう思ってもらえる街にしてほしい。滋賀で生きていくことがどれだけ素敵なのか、そのモデルを皆さんから発信してほしいんです」

このプロジェクトは1年限りの授業課題ではありません。木村センター長が繰り返し強調したのは「成果の連鎖」という考え方。今の3年生が先陣を切り、後輩たちへとバトンをつなぎ、やがて近隣の高校や大学にも広がっていく。10年、15年という長いスパンで街を変えていく息の長い営み。そのための第一歩を、この教室の生徒たちが踏み出そうとしています。



この日、大津商業高校の教室に蒔かれた種は、きっとこの先、長い時間をかけて芽を出していくはずです。プロジェクトは1年で終わるものではありません。先輩から後輩へ、学校から学校へ、世代を超えてつながっていく「関係の連鎖」。それこそが、木村センター長が語った「共創エコシステム」の本質です。

琵琶湖を渡る風は、この日も変わらず教室に吹き込んでいました。けれど、その風を受け止める生徒たちの目は、授業の前とは少し違っていたはずです。自分たちの街が持つ価値を知り、その価値を自分たちの手で届けられるのだという確信を得た目。

滋賀の未来を変えるのは、きっとこの瞳です。