Interview Vol.181
空が広い街で、人に優しい開発を立飛ホールディングス 村山社長が54年かけて耕した、
立川という「土壌」
立川駅北口から歩くこと数分。視界がふっと開ける瞬間があります。 高層ビルに切り取られた空ではなく、どこまでも続く、広い空。子どもたちが水辺で走り回り、若いカップルが芝生に寝転がり、放課後に高校生たちが集まる——これが「グリーンスプリングス」の日常の風景です。
この場所を生み出した株式会社立飛ホールディングスの村山正道社長は、入社54年目。「最近は、北海道の余市町でワインを作っているんですよ」と楽しそうに話す姿の奥には、半世紀をかけて立川という街に注ぎ続けてきた、静かで深い愛情が滲んでいました。
株式会社立飛ホールディングス 代表取締役社長 村山正道氏
飛行機を作っていた会社が、
街をつくるまで
立飛ホールディングスの前身は、戦前に軍用機を製造していた立川飛行機株式会社。約9,600機もの飛行機を送り出した、日本の航空産業の礎ともいえる会社です。
「日本のモノづくりの原点は、立川飛行機から始まっている」 村山社長はそう語ります 。トヨタ カローラの設計者として有名な長谷川龍雄氏も、日産で名車を生み出した技術者たちの多くも、かつてこの会社に在籍していました。
しかし終戦後、飛行機製造の道は絶たれます。以来、事業の多角化を模索するも、なかなか芽が出ない時代が長く続きました。それでも不動産賃貸業の安定した収益が、会社を支え続けたのです。
村山社長は当時をこう振り返ります。「何やっても成功しなかった。でも不動産の賃料が入るから、なんとか持ちこたえていた。気がつかないうちに、ものづくりの技術や特許は大手に取られてしまっていたんです」
転機は、村山社長が経営の舵を握ってから訪れます。立川市のほぼ中心部、市全体の約25分の1に相当する約98万坪もの広大な土地を一団で保有するという、東京でも唯一無二の条件。この「土地の塊」をどう活かすか。村山社長の答えは、業界の常識とはまるで違うものでした。
立飛本社に飾られている飛行機の模型
「縦」ではなく「横」に広がる、
人に優しい開発
「大都会での開発って、土地がないからどうしても縦になるんですよ。人に優しいかって言われたら、真逆だと思う」
便利だけれど、どこか息苦しい都市生活を、村山社長は「自然に反している」と断じます。「私は横の開発。土地があるからっていうのもありますが、真ん中に人が集まってくる感覚を大事にしたい」
グリーンスプリングスの設計思想は、その信念の結晶です。広場を中心に、水と光と緑を基調に据えた空間。最初に上がってきた設計案では、この広場が人工芝で覆われていました。
「待ってくれよ。ウェルビーイングがテーマなら、足元が一番大切だろう。裸足で草や土を感じられる場所にしなくちゃ」 村山社長は即座にその案を却下しました 。
こうした一つひとつの判断が積み重なり、グリーンスプリングスは人が自然と集まり、思い思いに過ごせる「生きた広場」になりました。仕事帰りの人がベンチに腰かけ、お弁当を持ち込んだ家族が芝生でくつろぎ、ただそこにいるだけで心が満たされる。「空が広い。こんな贅沢な空間は見たことない」——初めて訪れた人の多くが、そう口にするといいます。
空が広い街。それは航空法によって建物の高さが制限された、かつての飛行場跡地だからこそ生まれた景観でもあります。
「滑走路があったから、今のこの空の広さがある。迷惑だと思っていた規制が、実は最大の財産だった」
かつて米軍基地の街というイメージがあった立川。それが今、「空が広い街」として、都心から引っ越してくる若い家族を惹きつけるまでになったのです。グリーンスプリングスを見て移住を決めたという若い女性の話を、村山社長は嬉しそうに語ってくれました。
冬は雪を、夏はプールを
——「顧客目線」の深さ
村山社長の「顧客目線」には、独特の深みがあります。 冬になれば人が減る屋外広場。普通なら仕方ないと諦めるところを、村山社長は新潟から100トンの雪を運ばせました。立川の子どもたちに、雪遊びを知ってほしかったからです。
真夏には小さなビニールプールを50個並べることを指示。「運営をどうするか」と現場が右往左往する中、村山社長は涼しい顔で言い放ちます。「夏は子どもたちに水遊びさせてあげたいでしょう?普通の感覚だと思うんだけど」と。
歌舞伎公演の前日には、地元の子どもたちに稽古風景を見学させる機会も設けました。 「日本の伝統文化に触れさせたい。歌舞伎役者の稽古風景なんて、普段見られないでしょう。そういう『余計なおせっかい』を、私はやってるわけです」
立川に住む子どもたちに、本物に触れる機会を——。それこそが、村山社長の考える「普通の感覚」なのです。
新潟から雪を運び、子ども達が冬の遊びを楽しむ(写真提供: 株式会社立飛ストラテジーラボ)
街の価値を上げれば、
すべてがついてくる
立飛ホールディングスの本業は、不動産賃貸業。戦前からの古い建物も多く、賃料を上げるには限界があります。ならば、発想を変えればいい。
「経営者の仕事って、企業価値を上げることなんですよ。でも、賃料を少し上げたところで、どれだけビジネスが拡大するのか」
村山社長が出した答えは、逆転の発想でした。自社の物件ではなく、街そのものの価値を上げればいい。「街がにぎわい、注目される街になったら、もう簡単な話じゃないですか。立川の都市格が上がれば、あとはすべてがついてくる」
2015年にららぽーとを誘致し、2020年にグリーンスプリングスを開業。その周辺にフィギュアスケーターの浅田真央さんがプロデュースする「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」や、人工砂浜施設「タチヒビーチ」など集客施設を戦略的に配置し、歩いて街を回遊する動線を広げています。
「5年おきに進化する」——それが村山社長の経営哲学です。次の一手はすでに動き出しています。ららぽーととグリーンスプリングスの間、高松駅前にある歴史的な給水塔を活かした新たな開発構想。「この街がもっと奥行きのある、歩いて楽しめる街になったらいい」と、静かに、しかし確実に次の種を蒔いています。
松本零士氏が描いた立川飛行機がかつて製造した飛行機「赤とんぼ」のイラストなど
土壌に水をやり続ける
自らの感覚と責任で街づくりを進めてきた54年。その道のりは決して平坦ではありませんでした。それでも、やろうと決めたら明日には動き出せるスピード感を武器に、一つずつ、街に種を蒔き続けてきました。
街に投資することを、村山社長はこう表現します。「土壌に水をやるようなもの」だと。すぐには芽が出ない、花が咲くかもわからない。それでも水をやり続ければ、いつか必ず緑が広がる。人の暮らしには緑と光と水が必要。
グリーンスプリングスの広場で走り回る子どもたちの笑顔が、その何よりの証です。
