空でつながろう

Interview Vol.183 厄介者だった竹が、
地域を救う「美味しい資源」に変わる

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。今回は、宮崎県延岡市を拠点に、放置竹林という全国的な社会課題を「食べることで解決する」仕組みに変えた、「森を育てるメンマ」プロジェクトを推進する江原太郎さんに話を伺いました。

厄介者だった竹が、地域を救う「美味しい資源」に変わる

江原太郎さん

帰郷して目にした、
竹に飲み込まれた山と畑。

活動を始めたきっかけを教えてください。

江原太郎という名前で長男なんですよ。だから先祖代々受け継いできた畑と山をいずれかはなんとかしなきゃいけないという、自分の中での宿命みたいなものがあって。祖父母が農業をやっていたので、東京農業大学に進学して、いずれは帰ると決めていました。30歳前には帰ろうと。

正直、高校の頃はこんな田舎を出たいと思っていた人間なんですよ。でも帰ってきて有機農業をやろうと思って、父や祖父母が見ていた畑と山を実際に見てみたら、山は竹に覆われて以前入れた場所が入れなくなっていて、竹が畑まで侵食してきていた。十年、二十年でここまで変わるのかと。うわ、まずこれをなんとかしないと農業どころじゃないなと思ったのが始まりです。

それで調べてみたら、これが自分の実家だけの問題じゃなくて、全国的な社会課題だとわかったんです。放置竹林は日光を遮って生態系を壊す、根が浅いから土砂災害の原因になる、人が入らなくなるとイノシシやシカの住処になって農作物の被害が増える。農家さんがもう来年は作らないってなりかねない世界なんです。小さい集落で、その人たちが辞めていくのを見てられなかった。

竹をメンマにするという発想はどこから生まれたのですか?

江原もともと竹って、プラスチックが普及する前は財だったんですよ。大工さんが使い、竹細工を作る人がいて、それを売る人がいて、地域に経済が回っていた。竹に価値があったから管理もされていた。その価値がなくなったから管理されなくなった。だったら、もう一回竹に価値をつけて、お金になるようにすればいい。僕らが成功モデルを示せれば、全国の困っている地域でも同じことができるはずだと思いました。

最初の1トンは、
たった一人の農家から始まった。

具体的にどんな事業をされているのですか?

江原規格外のタケノコを使った「クラフトメンマ」の開発・販売です。クラフトビールやクラフトコーラのように、その地域の食材で味付けて、その地域ならではのメンマを作る。今、全国約15箇所で展開しています。東京都町田市とは包括連携協定も結ばせてもらいました。

事業のパッケージには、竹林整備、農福連携で福祉事業者との雇用創出、学校給食への導入と環境教育、ふるさと納税や機内食・輸出などの販路開拓まで含まれています。国産メンマは市場のわずか1%で、99%が中国・台湾からの輸入。タケノコ自体も88%が輸入です。そこに国産の価値を打ち出して、高付加価値で展開しています。延岡メンマは航空会社のファーストクラス機内食にも採用されました。

厄介者だった竹が、地域を救う「美味しい資源」に変わる

延岡メンマ

最初から順調だったのですか?

江原全然です。農家さんに最初に買い取りをお願いした時、一回断られてるんですよ。「メンマ用の規格なんて知らないし、協力できない」って。でも一人の農家さんが伸びきった竹を持ってきてくれて、そこから一トンの買い取りが始まりました。

普通のタケノコって75cmを超えると規格外になって、キロ25円ぐらいにしかならない。僕らは80cmから1mまで伸ばしたものをキロ60円で買い取っている。重さもあるし、伸ばせばいいだけだから簡単にお金になる。それがわかった翌年には他の農家さんも持ってき始めて、買い取りが8トンに。その翌年は15トンです。6年続けた結果、竹林整備の面積は試算で東京ドーム約1.4個分になりました。

空き家の問題とも連動していて、裏山に竹林があって手前に空き家がある、というケースがセットで出てくるんです。それを一棟貸しの宿にリノベーションして、今2軒運営しています。「熟成筍 JAPAN BAMBOO SHOOTS」というブランドでミシュラン星付き店にも採用されていますし、竹炭やブラックスイーツなど竹関連プロダクトの開発も進めています。

厄介者だった竹が、地域を救う「美味しい資源」に変わる

竹の収穫時の様子

厄介者がお金になった瞬間、
農家の救世主となった。

江原さんにとっての"EVOLUTION×LOVE"を教えてください。

江原やっぱり、最初に断られたところからですかね。メンマ用の規格なんて知らない、できないと言われた。市役所に相談しても「事例がないから」と突っぱねられた。誰にも頼れない状態で、自分たちがトップランナーとして実績を見せるしかないなと腹をくくった。

そこからたった一人の農家さんが持ってきてくれた1トンの竹で始まって、翌年8トン、その翌年15トン。農家さんにちゃんとお金が落ちるようになって、竹林整備がどんどん進んで、森が変わり始めた。最初に断った農家さんたちが「お金になるんだ」とわかった瞬間に持ってき始める。あの変化を目の前で見た時は、これだと確信しましたね。

僕らはソーシャルビジネスなので、社会的に良いことをしていても利益が出なければ継続できない。逆に言えば、ちゃんとビジネスとして成り立つことが、この課題を解決し続けられる唯一の方法なんです。僕らは全15箇所と売上連動の契約にしていて、売れなければこちらにもお金が入ってこない仕組みにしている。だから売り方も惜しみなく教えるし、一緒に考える。その本気度があるから、信頼してもらえていると思います。

厄介者だったものが美味しいものになって、ファーストクラスの機内食にまでなった。それを地域に示せたことで、「うちの竹もなんとかなるんじゃないか」と思ってくれる人が増えてきた。今は長崎県雲仙市の市長が視察に来てくださったり、いろんな自治体から声がかかるようになっています。

厄介者だった竹が、地域を救う「美味しい資源」に変わる

延岡メンマ地域の取り組み 農副連携

10年、20年後はどのようになっていたいですか?

江原地方にはまだまだ資源があると思っています。竹も、空き家も、森も。それをどうクリエイティブに付加価値をつけて、皆さんのライフスタイルの中に届けられるか。整備を続けていけば竹林は観光資源にもなるし、竹あかりのイベントで人を呼ぶこともできる。

特に力を入れたいのが子どもたちへの原体験づくりです。学校給食にメンマを出して、そこから授業で伝えていく。日本の国土の60%は森林で、延岡は面積の80%が山。その山に竹林が増えるとイノシシやシカが増えて、みんなが食べるジャガイモやニンジンを作る農家さんが減って、野菜が高くなって、食べられなくなるかもしれない。そういうことをわかりやすく落として、美味しいものを食べながら背景を知ってもらう。竹のことも、森のことも知らない子どもたちにとって、食べることが入り口になるんです。

厄介者だった竹が、地域を救う「美味しい資源」に変わる

小学校で特別事業を行う江原さん

メンマという食べ物を通じて、わからない人たちにまず美味しいものを届けて、その背景を体験として残していく。今は全国15箇所ですが、竹のようにどんどん広がって、もともと価値があったものがまた価値を取り戻す。そういう世界を作っていきたいですね。

江原さん、ありがとうございました!「食べることで森を育てる」という仕組みで、放置竹林を地域の宝に変え続ける江原さんを、今後も応援させていただきます。