空でつながろう

Interview Vol.186 琵琶湖にしかいない魚たちに、
もう一度光を当てる。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。今回は、滋賀県近江八幡市で琵琶湖の湖魚を扱う有限会社ヤマサ水産の四代目専務取締役・西居希さんに話を伺いました。曽祖父の代から続く家業を継ぎ、これまで流通していなかった淡水魚に価値をつけて全国へ発信し続ける、その活動と思いに迫ります。

琵琶湖にしかいない魚たちに、もう一度光を当てる。

西居希さん

曽祖父から続く沖島の家業を、
佃煮屋から「鮮魚を全国へ」の会社に変えた。

現在の事業について教えてください。

西居うちは僕で四代目になります。曽祖父、祖父、父とずっと琵琶湖で漁師をやっていて、琵琶湖に浮かぶ沖島という有人島がルーツの会社です。代々、漁師から仕入れた小魚を佃煮に加工して売る商売をしてきたんですが、僕の代から鮮魚流通に力を入れ始めました。ニゴロブナのような琵琶湖にしかいない魚を、県外の飲食店に卸すという仕事です。

僕は16歳から県外に出ていて、京都の高校、山口の水産大学、北海道の函館と、全国各地の水産業を見てきました。外から改めて琵琶湖を見た時に、どこにも被っていない個性的な魚たちだなと気づいたんです。でも中にいる漁師さんや同業の魚屋さんは、ニゴロブナが県外の飲食店に売れることを知らない。琵琶湖にしかいない魚があるのに売れていないのは、ただ売る側の人間の努力不足なだけ。ちゃんと営業して魅力を伝えれば、必ず使ってもらえると思ったんです。

琵琶湖にしかいない魚たちに、もう一度光を当てる。

獲れた魚の下処理をする西居さん

どうやって販路を開拓したのですか?

西居最初のお客様は、大学時代に山口県下関市でアルバイトしていたイタリアンのシェフでした。実家が淡水魚の魚屋だと話したら「一回使ってみたい」と。そのシェフが順番に紹介してくださって、そこから広がっていきました。自分から売り込んだことはほとんどなくて、今のお客様は全部紹介制です。料理人の世界って本当に狭くて、1人のシェフとつながればどんどん広がっていく。神経締めや血抜きをした淡水魚なんて今までなかったので、「そんなことをやっている奴がいる」と面白がってくださったんです。琵琶湖の魚は水質のいい広大な水域で、鮎などを餌に育っている。海と違ってアニサキスもいませんし、下水処理の発達で危険な寄生虫もほぼいなくなっている。安全性もかなり高いんですよ。

琵琶湖にしかいない魚たちに、もう一度光を当てる。

湖魚食堂「くわいえ」にて湖魚を同世代の料理人たちと料理したイベント

佃煮も、鮒寿司も、祭りも。
「あって当たり前」に眠る価値を掘り起こす。

地域との関わりでは、どんなことをされていますか?

西居仕事の面では、鮒寿司の仕込み体験を3年前から始めました。鮒寿司の消費量は年々落ちているんですが、飲食店の料理人さんと一緒にひと桶漬ける体験を、春と夏の年2回、今年は15組ほどに提供しています。ただ食べてもらうのではなく、千年以上続く作り方そのものをカルチャーとして継承していく。仮に滋賀県から鮒寿司の消費がなくなっても、料理人さんたちが受け継いでくれれば、その店ごとに残っていくと思うんです。

プライベートでは、地元の祭りが本当に好きで。八幡祭という1700年続く祭りに中1からずっと出続けています。若手が減って存続が難しくなる中、3年前に立ち上がった祭礼保存会の理事をやらせてもらっていて、町内外から人を呼んだり、法被のレンタル制度を作れないか考えたり。自分が生きている間に途絶えさせたくないという思いが強いんです。

僕は「今まであったものにもう一回価値をつける」のが得意なんだと思います。ビワマスにしても、琵琶湖にしかいないから、ゼロをイチにする必要はなくて、もともと1あるものを2にしてあげる。祭りも鮒寿司も同じで、素晴らしいものがあるのに、ずっと住んでいる人たちにとっては当たり前になっていて、その素晴らしさに気づけていない。なくなりつつあるのに誰も気づいていない価値を再発掘して、もう一回世の中に伝えていく。魚のことも、祭りのことも、鮒寿司の作り方も、全部を自分がつないでいく。言ってみれば、眠っている価値の「通訳」であり「発信者」であり、何かと何かをつなぐハブのような役割なのかもしれません。それが仕事でも祭りでも、僕の役割なんじゃないかなと思っています。

反骨精神が
「オール滋賀」への愛に変わった。

西居さんにとっての"EVOLUTION×LOVE"を教えてください。

西居のめり込んだ最初のきっかけは、高校で京都に出た時です。寮で同部屋になった京都出身の友達に、地元では鮒や鯉を煮付けや刺身で食べると話したら、「そんなん食いもんちゃうやろ」と言われて。県外の人から見た琵琶湖の魚のイメージを、初めて突きつけられた一言でした。そこからは反骨精神というか、見返してやりたいという思いでずっとやってきた。「臭いやろ」と言われるたびに、あの16歳の気持ちに立ち返って、淡水魚は美味しいと広めたくなるんです。

でも、やっていくうちに変わってきました。全日本食学会で大賞をいただいて、その現地視察で理事の方15名ほどが滋賀に来られた時、僕の会社だけでなく、農家さん、取引先の飲食店を皆で回って、最後にみんなで食卓を囲んだんです。生産者それぞれが滋賀の良さを語り、料理人がそれを聞いて、運ばれてくる料理には自分たちの魚や野菜が使われている。この光景がすごく良くて。自分一人で世の中に出ていくのは違うな、一緒に頑張っている仲間と出ていきたいなという思いが芽生えました。みんなの「喜ばせたい」というラブが結束して、お客様を喜ばせることにつながる。あれがまさに滋賀愛でしたね。

僕は9年間も県外に住んでいたからこそ、同じ滋賀県民として気心も知れていて、かつ「ここめっちゃいいよな」を外の目線で伝えられる立場にいる。滋賀の人って自信がなくて、いいものを作っているのに「俺らなんかどうせ」と卑下しがちなんですよ。でも外から見たら本当にすごい。だから今は、反骨精神からもう少し先の未来を見て、水産業そのものを残していきたいと考えています。漁師は平均年齢が70歳超で、何もしなければ10年、15年でいなくなる。だから去年から父と中古の漁船を買って、漁師業も始めました。行政とも補助制度の相談を進めています。自分に子どもができた時、琵琶湖の魚が当たり前に食卓に出る未来を作りたい。それが今の原動力です。

琵琶湖にしかいない魚たちに、もう一度光を当てる。

漁から戻り水揚げされる湖魚

10年、20年後はどのようになっていたいですか?

西居まずは水産業を残して、10年後も20年後も琵琶湖に漁船が浮いていてほしい。そして個人的な野望としては、沖島にレストランを作りたいんです。人が住んでいる淡水湖の島は世界的にも珍しくて、日本では沖島にしかない。そこで湖魚だけを出す、近江牛は一切使わない、自分の集大成としての発信基地を作りたい。県外の星付き店に卸すばかりで、滋賀県民が地元で美味しい湖魚を食べられないのは悔しいので、地産地消も進めたい。県外で「湖魚ってすげえ」と言われ始めれば、行政も県民も振り向いてくれるはず。内側から変えつつ、外堀からも埋めていく。動き続けてよかったと思える瞬間が、少しずつ増えてきています。

西居さん、ありがとうございました!琵琶湖の湖魚に新たな価値を吹き込み、「オール滋賀」で食文化を全国へ発信し続ける西居さんを、今後も応援させていただきます。