空でつながろう

Interview Vol.48 「お困りごと」で創る、
宮古島経済基盤と地方活性。

EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行なっています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第48弾の今回は、沖縄県の宮古島で「地域のお困りごと」の解決に取り組む富山 忠彦(とみやま ただひこ)さんにお話を伺いました。

「お困りごと」で創る、宮古島経済基盤と地方活性。


宮古ガスの皆様と富山さん(写真右端)

創業理念から生まれた、
「暮らしのコンビニ」という発想。

現在の活動について教えてください。

富山メインの事業としては、「宮古ガス」というプロパンガスの会社を運営しています。父が倒れたことをキッカケに、会社を引き継いだのが2011年。僕で4代目です。ほかにも生活支援事業として、ベンリー宮古島店や学生服のリユースショップを行なっています。

生活支援事業をスタートさせたのは、会社の価値観を見つめ直したことがキッカケでした。創業以前、宮古島ではプロパンガスを沖縄本島から海路で運び、重たいガスボンベを船から人の手で担ぎ、馬車などで家庭に供給していました。しかし宮古島は毎年、大型台風が襲来する地域。台風で海が荒れると当然ガスの供給も途切れてしまいます。そこで当時材木屋をしていた祖父が、「宮古島に大規模なガス充填所を作って、島の暮らしを良くしよう」と、宮古ガスが生まれました。

僕が社長になって会社を引き継ぐ難しさを痛感した時、そんな「島のお困りごとを解決する」という創業の成り立ちの目線から、会社の存在意義を練り直すことにしたのです。そして生まれたのが、「ガス会社から暮らしのコンビニへ」というコンセプト。沖縄の中でも比較的高齢化率が高い宮古島で、小さな困りごとを解決してお役に立つことを、もう一つの事業の軸にしようと決めました。

現在の活動への想いを教えてください。

富山過去の『空でつながろう』に掲載された方々と比べると、僕の視点は宮古島に住む人の所得水準を上げ、暮らしを良くしたいという想いがあります。そこが本質的に地域活性につながればと考えています。令和元年度の沖縄の一人当たりの県民所得は240万円ほど。宮古島では約230万円になります。現在では観光産業の盛り上がりもあって沖縄県全体でも年収は上がりつつありますが、日本の平均給与である461万円に近づけていきたい。平均所得や子どもの貧困率が全国ワーストである沖縄で、しっかり給与をもらって生活を向上させることで、地元の人が自信を持って暮らせる仕組みを作りたいです。

そのためにはまず、自社がモデルケースとなることが必要と考えています。ではどうやって利益を出し、給与として社員に還元できる事業を育てるか…。そう考えた時にヒントになったのが、「島のお困りごとを解決する」という、宮古ガスの創業当時からの企業姿勢です。宮古島に戻ってきた時に、祖父や父に助けられたとお客様から声を掛けられることが多く、「自分も地域のために頑張りたい」と強く感じるようになりました。

「お困りごと」で創る、宮古島経済基盤と地方活性。

制服やランドセルなどのリユース事業

そこで普段のお困りごとに目を向けた時、潜在的なニーズがまだまだ眠っていることに気づきました。たとえばコインランドリーにガスを届けに行った時、「コインランドリーを掃除してくれていたおじいちゃんが亡くなってしまって掃除ができなくなったから、ついでに掃除もお願いしたい」という声。ほかにも大阪から移住してきた方から「移住者なので学生服のお下がりが回ってきにくい。大阪では学生服のリユースショップを利用していたが、宮古島にはないので困っている」という声。そうした「お困りごと」がベンリーや制服のリユースショップのオープンにつながっています。

人の役に立つことで付加価値を創出し利益を増やし、しっかり給与を出して社員が働きやすい環境をつくる。そのプロセスを仕組み化して、地元の企業のモデルケースを目指す。それが僕のミッションです。

「お困りごと」で創る、宮古島経済基盤と地方活性。

活動が新聞にも取り上げられ記事化

富山さんにとっての地域活性化を教えてください。

富山人口5万5000人ほどの宮古島には、毎年120万人もの観光客が訪れます。それに比べると、5万5000人を相手にする当社の商圏は、かなり小さいかもしれません。しかし僕は「どんな時でも自力で走れる力」を大切にしながら、地域活性化を目指していきたいと思っています。

もちろん観光業は重要な産業です。特に最近では観光客や移住者も増え、宮古島には極めて強い追い風が吹いています。しかし一方で、一時期、ワンルームの家賃が15万円、2LDKで家賃20万円と家賃が高騰したり、観光客の多さに地元の店が対応できずに人手不足で閉店したり、追い風が強すぎて船の帆が折れている状況も目にしました。そういった意味でも身の丈と冷静さを大切に、「地元のお困りごとを解決」し続けることで利益を出し、地域活性化につなげたいですね。

宮古島を、若者が戻りたくなる島へ。

「お困りごと」で創る、宮古島経済基盤と地方活性。

ビジネスピッチコンテストで「ガス会社から暮らしのコンビニへ。」をプレゼンし協賛企業賞を受賞

富山さんにとっての”EVOLUTION x LOVE”を教えてください。

富山やはり「ガスを売る会社」から「暮らしのお困りごとを解決する会社」への発想の転換でしょうか。実は僕が宮古島に戻ってきた時、会社はかなりの経営危機でした。さらに父親は倒れて意思疎通ができない状況。僕もいきなり経営者になり、最初はとにかく流行りの太陽光パネルを売ったり、がむしゃらでした。太陽光を売って売上は伸びたけれど、利益は出ず、自分の給料さえ危うくなった時、「創業者がどんな気持ちで会社を立ち上げたのか」という原点に立ち返りました。それが、今の軸でもある「暮らしのお困りごとを解決する」ということ。

その視点を持った瞬間、宮古島に眠るたくさんの潜在的ニーズに気づき、一気に視野が広がりました。冒頭でお話したコインランドリーの掃除代行をはじめ、家具移動のお手伝いやサッシの取り替え、電気自動車の定期管理、さらには「宮古島に入院していた時にコンビニで買った漬物が美味しくて、入院中の支えになった。回復して地元に戻った後も忘れられないから、探して送ってほしい」という依頼を受けたこともあります。事業の根本に立ち返る大切さに気づいたのが、僕にとっての”EVOLUTION x LOVE”ですね。

10年後、20年後のビジョンを教えてください。

富山若者が戻ってきたいと思える宮古島にしたいです。僕は中学から県外の中高一貫校に進学し、大学、社会人と、2011年に戻って来るまでの23年間宮古島から離れていました。その間、戻りたいという考えもありませんでしたし、戻ってきた当初も地域への思い入れは薄かったです。その理由を考えてみると、昔から「宮古島にはなにもない」という大人たちのネガティブな話を聞き続けてたから。もちろん進学や就職で島を離れるのも大切ですが、離れても帰ってきたくなるような、魅力と将来性のある宮古島にしたいです。

その一つとして夢に描いているのが、宮古島でクリエイティブフェスティバルを開催すること。カンヌは映画祭で有名ですが、広告祭(正式にはカンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバル)も開催されています。カンヌ広告祭では世界中のクリエイターが一堂に会し、世界中の秀でたクリエイティブに触れられます。

そうした世界中の人が集まる場所を作ることで、青い海や白い砂浜以外の観光資源が作れたらいいですよね。また宮古島の子どもたちに世界のクリエイティブを見せることで、様々な「得意」を発揮できる環境があることや将来の選択肢を伝えたいです。

最近の若者に感じることはありますか?

富山今の若者は優しいし要領がいいし、悪いイメージはありません。その上で自分の経験を踏まえて伝えたいのは、まずは経験(行動?)してみる大切さでしょうか。

20代の時に全力でがむしゃらに働いた結果、30代で少し余裕を持って仕事に向き合うことができました。また、30代で培った経験や人脈が40代で活きています。もちろん失敗もありますが、失敗を通して学ぶことや出会う人も多いです。特に縁は理屈じゃなく、偶然から生まれるもの。まず一歩踏み出してみることで、新しい出会いを見つけてほしいです。

   ありがとうございました。「お困りごと」を軸に多様なサービスを展開していく富山さん。今後、どのような事業を通して地域とつながっていくか、引き続き応援させていただきます。