Interview Vol.62
自分を生かしつつ社会とつながる
ウェルビーイングな活動を京都と滋賀で実践。
EVOLOVEプロジェクトでは、日本全国47都道府県にて「地元愛」を持ち、積極的に地域活性に力を注ぐ方々へのインタビューを行っています。これまでの活動内容から、この後どのように「地元愛」を進化させていくか。未来へ向けたチャレンジを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。第62弾の今回は、京都と滋賀県大津市でまちづくりや人材育成、ものづくりの支援を行うコミュニティデザイン団体「一般社団法人my turn」の代表理事 杉原さんとCWO(Chief Well-Being Officer)福冨さんに話を伺いました。
社会ともっとつながりたい思いで
子育てお母さんのチームを法人化。
現在の活動について教えて下さい。
杉原まちや企業、団体などでコミュニティデザインをサポートする「一般社団法人my turn」を運営し、京都と滋賀でまちづくりや人材育成、ものづくりなどを行っています。
まちづくりでは、京都と大津で各地域の特性を生かし、企業や地域、行政の方々も巻き込んで、生活者の視点で新しいサービスを考える場「リビングラボ」の立ち上げを行っています。今は北区と南区にありますが、ゆくゆくは京都11区すべてに「リビングラボ」を作りたいと考えています。また西京区ではまちづくり活動を進める仲間とともに学びを深めるオンライン講座「未来の西京まち結び~みらまち結び~」を、東山区では今熊野商店街にあるコミュニティスペースの活用について商店街組合の方々や地域の方々に課題や可能性を言語化して行動に落とし込むサポートをしています。
人材育成では企業や団体向けに、コミュニティマネージャーやデザイナーの育成サポートやマインドセットツーリズム研修を行い、個人の方にも1on1のコーチングを実施。ものづくりでは、サステナブルな視点で企業へ商品開発やコンセプトづくりのサポートもしています。
琵琶湖疏水で行われたマインドセットツーリズムの様子
京都と滋賀で活動することになったきっかけを教えてください。
杉原大学時代を京都で過ごし、東京で就職をしたのですが、結婚して子どもが生まれて京都に戻ってきました。子育て中に、これまで仕事で培ってきたスキルを活かしたいと考えましたが、どうしたらよいかわからず、もやもやとした気分になって。たまたま人の紹介で、ソーシャルイノベーションを研究する方のアシスタントを務めることになり、その縁で2016年から京都市ソーシャルイノベーション研究所のコンシェルジュを務めるようになりました。
その頃から、同じ子育て中のお母さんとチームを組んで、これまで自分たちが経験してきたスキルを社会に発表するマルシェやイベントを開催し、2017年に「my turn」を立ち上げました。
最初、チームの仲間に「自分たちのスキルを活かして活動をしたい」と伝えたときは、「今までやったことないからわからへん、でもなんとなくワクワクするな」という反応でした。でも「そんなの絶対無理や」という人はいなかったことが幸いでしたね。
みんなで活動を続けていくうちに、お母さんという肩書き以外の自分自身の人生のあり方が見えてきて、「この地域でどうやって生きていこうかと、未来を考えられるようになったことが嬉しい」という人が増えてきたのです。今までは、私が孤軍奮闘で働きかける側でしたが、チームとしてみんなが横並びになったなと実感できるようになりました。
「my turn」を一般社団法人化するまでの経緯を教えてください。
福冨私は京都市ソーシャルイノベーション研究所でフェローをしていて、2018年に杉原さんと出会いました。その時、杉原さんは「my turn」の活動について「自分たちだけが楽しいだけのこの活動は、どうやったら社会とつながっていけるのだろう」と違和感を感じていたようです。当時、私は企業でコーチングをやっていたので杉原さんとも1on1を行ったところ、“社会への好奇心”を強く感じました。そのうちに杉原さんが「社会ともっとつながるために、独立したい」と話すようになり、「my turn」を一般社団法人にすることになりました。
杉原最初は個人レベルのつながりがコミュニティとなり、やがて街づくりにつながっていくのだと思っていました。しかし実際にその活動を積み上げてくると、地域は決して個人だけではなく、企業も行政の協力も必要であることがわかってきたのです。個人と個人のつながりだけではパワーが弱く、クローズドのコミュニティで小さくまとまってしまう気がしてきました。そこで、私たちが行っている活動を、なるべく早く企業や地域に発信するべきだと考え、2020年に一般社団法人「my turn」を立ち上げました。
社団法人化によって、周囲にどんな変化があったのでしょうか?
福冨杉原さんが、自分の決意をメンバーに話したところ、30人いたメンバーは10人に減りました。残った人たちに対して、塾形式で、自分自身について深く考え、どのような人生を切り開いて行きたいのかを考えるセミナーを行うことになりました。それが「my turn塾」の始まりです。
私は「my turn塾」で、杉原さんに伝えたのと同じく「“組織も個人も自分を活かして愉快に生きる”というウェルビーイングの社会をビジョンにしよう」ということを教えました。丁寧に教えていけば、世の中の流れが理解できるとともに自分が何をやりたいかが見えてきて、マインドセットが変わっていきます。「my turn塾」で学んだ人はみるみるうちにマインドセットが変化して、今、各地区のリビングラボのリーダーとして活躍しています。
杉原活動を始めるにあたって企業や行政の方々に、いきなりウェルビーイングの話をしても逆に距離が遠くなってしまうと思いました。どうしたら相手が勝手に寄ってきてくれる流れを作ることができるのかと考えたら、自分たちの中のウェルビーイングをしっかりと言語化して、その姿勢を示していくだけでいいのではないかと思い至り、私たちが楽しくやっている姿を見たら相手が勝手に反応しだすのではないかと考えました。
とりあえずやってみようとチームで2〜3年活動を続けていたら、地元企業、大学、行政とも接点を作れるようになってきました。「my turnに持ちかけたら、化学反応を起こせるかもしれない」と考えてくれたのだと思います。そこから急激に、多分野の人たちから「話を聞かせてほしい」「どういうことをしたらこうなるのかプロセスを教えてほしい」などさまざまな問い合わせを受けるようになりました。企業や行政、地域の方々とこうした対話をするというのは、今までの私たちになかったこと。こういう形で私たちのバリューを、社会にとってのウェルビーイングとして提供できているのだな、と実感できるようになったのです。これが社会とつながるということなんだと感じています。
今は、イベントを行えば学生も高齢者の方も多様な方々が集まって世代を超えた楽しい空間を創れる自信を持てるようになりました。「my turnに言えば、どこかにつないでくれる」というように、町の困り事を引き受ける私たちのような存在はありそうでなかったような気がしますね。金融機関はお金をかけないとつながれないとか、行政は堅い制度があって理解が難しいと思われがちですが、その間に私たちのような橋渡し役が入るのがコミュニティデザインの本質であり、今の私たちの存在意義となっています。
「my turn塾」で学んだメンバーが京都市北区・大宮交通公園でマルシェを開催
コミュニティデザイナーを育成し、
活動のさらなる枝分かれをめざす。
10、20年後のビジョンを教えて下さい。
杉原今私たちは徐々に枝分かれし、社会にアウトプットをして化学反応を起こしている段階です。この先もさらに枝分かれを増やしていきたい。社会に合わせた自分たちのライフスタイルがライフワークになり、それが社会にも喜んでもらえるという三方よしのビジネスをしていきたいです。それには私たちのようなマインドを持つ人をもっと多く輩出する必要があるので、企業や行政の力を借りながら、コミュニティデザインをできる人たちを育てていきたいと考えています。
福冨企業において現状のピラミッド型の管理マネージャーではなく、フラット型のコミュニティマネージャーに変えていけば企業自体が変わる。まちづくりだけではなく社会にもウェルビーイングを定着させることをしていきたいですね。
ありがとうございました!ウェルビーイングな社会をめざす「my turn」の活動が社会にどんな化学反応を起こしていくのか楽しみです!これからも応援させていただきます。