西川 貴教
2008年、故郷である滋賀県から「滋賀ふるさと観光大使」に任命され、2009年より県初の大型野外音楽イベント「FEST. INAZUMA」(2025年まで「イナズマロック フェス」)を主催、以降地元自治体の協力のもと毎年滋賀県にて開催。
令和二(2020)年度滋賀県文化功労賞受賞。令和六(2024)年11月、野洲市市民栄誉賞受賞。
滋賀県で2009年より17回にわたり開催されてきた「イナズマロック フェス」。その舞台裏では、主催者・西川貴教さんの「地元愛」と、地域の人々の想いが共鳴し、地方振興イベントとしては異例の熱量を生み出してきました。
そして2026年、「FEST. INAZUMA(フェスト イナズマ)」へとその名称を改めます。アーティスト、飲食店、学生、地場企業、そして自治体——。カリスマ的なローカルフェスがいかにして生まれ、どこへ向かおうとしているのか。
主催者の西川貴教さんと、長年ロゴデザインやMCとして携わってきたアートディレクター・大岩Larry正志さんが、その原点と「表現」の進化を紐解きます。
フェスの歴史を遡ると、2007年の年末に辿り着きます。滋賀県知事との対談の席で、西川さんは地元への想いを「忌憚なくリクエスト」しました。
「そんだけ言うんやったら、西川さんが旗振り役になってくださいよ」
知事のその一言から、当時滋賀県にはなかった「観光大使」という制度が西川さんのために作られました 。準備期間はほぼゼロ。手元にある「音楽」と「エンターテインメント」を武器に、地域貢献の形を模索し始めた西川さんですが、その背中を押したのは、公の使命感だけではありませんでした。
「本当に内々のことですけど、母が進行性の病気を患いまして。母も、ハリがない表情をしていた。じゃあ、母親がいる場所で何かイベントを行おう。それがホントの、本当のスタートでした」。
「地域振興」や「社会貢献」という言葉が定着した今だからこそ、西川さんはあえて語ります。「ほんまもう、おかんがわろてくれたらええな、からできたイベントでした」と。
たった一人の大切な人を笑顔にしたいという切実な願い。それが、後に十万人を熱狂させるフェスの産声だったのです。
10数年という月日は、フェスの規模を劇的に変えました。厳しい選考を勝ち抜いた団体だけが出店できるフードエリア、芸人やご当地キャラのステージ、そして地元の学生たちの発表。親子連れを含めた10万人以上の集客を誇る、地方イベントの理想形とも言える成功を収めました。
しかし2017年、フェスの原動力であった最愛の母が他界します。
「正直、もうこれが最後かなと思ってやっていました。だってもう10年続けられたし、本来見てほしい人もいない。十分やりきったよ、と。それが、10周年のイナズマが終わった後の正直な気持ちでした」。
フェス終了がよぎった西川さんの心を引き止めたのは、地元・滋賀の人々の声でした。ふらりと帰省し、食事をしていた際、町の人から「西川くん、来年も頑張ってや。楽しみにしてるで」と声をかけられたのです。
「僕だけがやる・やらんの問題じゃないなと。もうこれはみんなのもんやから、勝手にやめたら怒られる。そこからですね。このイベントは滋賀県のもの、地元の皆さんのものやな、という風になっていったのは」。
「自分と家族の物語」は、いつしか「滋賀の物語」へと昇華されていました 。待っている人がいる。その事実が、西川さんの新たな「覚悟」に火をつけたのです。
「FEST. INAZUMA」への名称変更の裏側には、コロナ禍を経て西川さんが突きつけられた、表現者としての根源的な問いがあります。
「コロナを経験して、いろんなものの見方が変わった気がするんですよね。スポーツやエンターテインメント、アートといった『カルチャー』と呼ばれるものが、一番最初に社会から切り離されたじゃないですか」。
「誰かの心を打ちたい」と一生懸命に活動してきた自負が、一瞬にして揺らぎました。
「『今、出番じゃない』と言われて、我々は本当に必要だったのかと考えさせられて。あ、やっぱり我々の存在って、みんなの生活の安心安全、帰属意識がちゃんと担保されてないと、存在意義がないんやな、と」。
この気づきこそが、これからのフェスの核となります。単に楽しいイベントを提供するのではなく、人々の生活に本当に必要とされる「文化」とは何かを、ゼロから問い直す。それが西川さんの決意です。
「アート、歴史、伝統、音楽など色々なものを含めたカルチャー。
それらをもう一度きちんと皆さんと一緒に『再定義』していくようなイベントを我々は目指したい」
名称の変更は、ロックミュージシャンだけでなく、誰もが主役になれる「開かれた場所」を作るための決意表明なのです。
西川さんがこれから特に力を入れたいと考えているのが、学生や若いクリエイターが参加できる環境づくりです。
「学生の皆さんには表現の場所として、イナズマをもっと使ってもらいたい。アート、カルチャーは、これからイベントの軸になってくると思うので、ぜひ多くの人たちに参加をお願いしたいです」。
前編で紹介した成安造形大学の学生たちの挑戦も、この大きな構想の中にあります。Larryさんをアートディレクターに迎え、学生たちがプロの現場で汗を流す経験は、単なるボランティアや学習発表会ではありません。学生が制作したフォトブースに行列ができ、そのデザインがメインステージに採用されるといった「プロとしての成功体験」こそが、フェスを続ける大きな意義になっています。
「チケットを買って見に来てくれた子どもたちが、夢を実現させて、
今度はステージに立つ側になって帰ってきてくれてるんですよね」
「自分は音楽をやっていないから関係ない」と思っている若者たちにこそ、この場所を「活用」してほしい。音楽や芸能、エンタメ、地域振興といったテーマであれば、イナズマはすべての夢を受け止める「受け皿」になれると構想を膨らませます。
学生たちのデザインが、メインステージのビジュアルとして採用される
西川さんが描く未来の滋賀県は、単なる「居住地」ではありません 。夢を持ち寄り、それを形にできる場所です。
「みんなが夢を持ってきて、叶える場所にする。それが我々が望む滋賀県の未来像だと思ってるんで。イナズマに来てくれたみんなに対して、1枚のチケット代金以上の何が残せるか、いつか夢を叶えてステージに上がる側としてここに帰ってきてもらえるかっていうことが、我々の次の目標です」。
20年に近い歳月は、一人のアーティストを地域を背負うリーダーへと変えました。しかし、西川さんの瞳の奥には、今もなお、病床の母を想い、右も左も分からぬままイベント会場を踏み締めたあの日の情熱が宿っています。
「1年目は、ほんまに行き当たりばったりでやってた。何にも分からへんけど、ただとりあえずやってやった時の気持ちをいかに忘れずに走れるか。それが一番大事やなと思います」。
「イナズマ」が灯す光は、もはや一瞬の閃光ではありません 。それは、滋賀の地で夢を見るすべての若者たちを照らし、次世代へとバトンを繋いでいく、永劫の輝きへ。
「FEST. INAZUMA」として生まれ変わる新たな舞台で、私たちは、見たこともないほど「優しく、熱い」地域の未来を目撃することになるでしょう。
滋賀県の挑戦が、他の地域の皆さんにも参考になることを願って、EVOLOVEプロジェクトは「FEST. INAZUMA」を応援します。

